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[コラム]荒れ野をゆくときも

このコラムでは、その週の典礼テーマにそったメッセージをお届けします。

関口教会で奉仕する山本神父、倉田神父、三田助祭、シスター品川の四人が輪番でお届けします。それぞれの個性もまたカトリック教会の懐の深さとして味わっていただければ幸いです。

  


 

山本神父荒れ野をゆくときも、あらし吹くときも、と有名な讃美歌の一節にある。荒れ野を旅したいと私は決して思わない。一度も嵐よ吹けなどと願ったこともない。でも、長い人生の旅路にあって、荒れ野を歩かなければならない時がやってくる。嵐の中を前進しなければならない時も必ず訪れる。だから、その讃美歌の歌詞の続きはこうなっている。行く手を示して、絶えず導きませ、と。

人は誰も荒れ野を好きにならなくてもいいし、嵐に立ち向かう勇気を持ち合わせる必要もない。ただ、そうなってしまったとき、行く手を示して、絶えず導いてください、と祈れますようにと願う心だけは持っていたい。

 荒れ野で誘惑を受けられたイエスに天使たちを送って仕えさせた神は、あなたが荒れ野のど真ん中に置いてきぼりにされてしまったとき、あるいは、嵐が吹きすさぶ中で立ちすくみ何も見えなくなってしまったとき、必ず天使を送って守らせてくださるにちがいない。神の守り、汝が身を離れざれ、という讃美歌の結びは、その確信に満ちている。

 

山本量太郎神父