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[コラム]飢える

シスター品川わたしが生まれたころはまだ食糧難時代だった。兄弟は多く、母が取り分けてくれる食べ物は、しっかり確保しておかないと兄や弟に狙われる。そんなこども時代がウソのような今日の飽食風潮。健康診断のたびに糖尿病予備軍の心配を心のどこかでしている自分がおかしい。実際には、わたしは飢えというものを体験したことがない。

 まだ若かったころ、今はもう消えたアフリカのビアフラというところの飢えた子どもの写真を手に、街頭に立って、救援募金を集めたことがあった。その飢えた子どもの写真を複雑な思いで見入ったことを思い出す。その後も、飢えて力なく横たわっていたホームレスの人やガリガリの手を差し出して食べ物を求める人にたくさん出会った。その時々の、さまざまな思いが去就する。

つい先日の早朝のこと、近くのコンビニの横に背の高いがっしりした体の20代位の青年が向こうからやってきて、人目をはばかりながらコンビニの出したごみの中から食べ物を探そうとしていた。長い間ホームレスをやっているという雰囲気はなく、ジョギングの途中でお腹がすいた…..といった感じだった。わたしは目を合わせるのは気の毒、と思い、地下鉄への道を急いだが、しばらくの間、あの青年のおどおどした姿が脳裏から離れなかった。

 今日の聖書で、イエスは「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が人の子を認証されたからである。」(ヨハネ6.27)と言われる。そうです。勿論です。しかしわたしは、朽ちるこの体のために、「わたしたちに日毎の糧を今日もお与えください」ともっと、もっと祈らないといけないと感じている。この豊かな世界の谷間にあるわたしたちの兄弟のためにも。

Sr.品川 ヨシ子