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[コラム]復活

シスター品川「復活」とは何だろう。「主の復活」とはどういうことだろう。
イエスの弟子たちにとって、イエスの「復活」は、その後の彼らだけではなく、「いのち」について思いめぐらすすべての人に、今日も大きな問いかけと希望を与え続けています。

存命中のイエスに会うことのなかったパウロという弟子は、復活したイエス・キリストに出会い、彼のその後の生き方は180度変えられ、イエスの十字架の死と復活を宣べ伝え、最後にはローマで殉教して生涯を終えました。
熱血漢パウロの苦い経験は、ギリシャ哲学との対決だったようです。アテネで最も伝えたかった「復活」に話が及んだときの様子を、聖書は次のように記しています。
「死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は『それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう』と言った。それで、パウロはその場を立ち去った。」(使徒行録17.32-33)とあります。パウロのがっかりした姿が目に浮かびます。

ドイツ強制収容所の体験記録「夜と霧」の中でヴィクトル・フランクルは、過酷な非日常性の体験から得た心理学者としての深い洞察を展開しています。「何びとも彼から苦悩を取り去ることはできないのである。何びとも、彼の代わりに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである。まさにその運命に当った彼自身がこの苦悩を担うということの中に、独自な業績に対するただ一度の可能性が存在するのである」(P.184)。絶望の淵の苦悩を耐え抜く力は、一点の光によると思われます。
著書の終わりに、「解放された囚人各自が強制収容所のすべての体験を回顧して奇妙な印象を受ける日が来るのである。すなわち彼は収容所生活が彼に要求したすべてのものをどうして耐え抜くことができたのか殆ど分からないのである。…解放され、家に帰った人々のすべてこれらの体験は、『かくも悩んだ後には、この世界の何ものも….神以外には…恐れる必要はない』という貴重な感慨によって仕上げられるのである(P.204)」。

「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、ここにはおられない」 (マタイ28.5-6)。空になった墓にイエスを探すのではなく、ガリラヤと呼ばれた生活の場で復活したイエスに出会いましょう。神以外には何ものも、恐れるものはないのです。

Sr.品川ヨシ子