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[コラム]「わたしの声を聞き分ける」

シスター品川親しい人の声なら、電話の「もしもし」を耳にした瞬間に、誰の声か分かるものです。そして、その声の主が何を話したいかさえ、察することができます。
怒り、憤りや極端な悲しみを表す声の響きなら、誰でもその人の心を感じ、共有することや反発することすらできます。“間”の取り方や呼吸、いわゆる息遣いでも、その人の心が伝わってきます。わざわざその人の顔に微笑みや涙を見ることがなくても、その人が何を言わんとしているのか分かります。今流にいえば、“空気が読める”感性があれば分かるし、応えられます。

イエスはこの感性に加えて、「聞き分ける」ことを求められます。
ただ察するのではなく、分かったことを受け入れ、進んでそれを自分のものにし、応えていくことです。イエスの思いを自分の思いにして行動に移すことを求めているのです。
ただの通りすがりの通行人の関係ではなく、親しく、かけがえのない友人ならば、進んで彼の望みを実現したいと思うし、多少困難を伴っても実際に実行するでしょう。 イエスが「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」(ヨハネ10.27)、いわゆる“同志”を求めているのだと思います。

イエスの声は囁くように小さく、雑音の多い毎日の生活の中では、聞き取りにくいものです。自分から進んで、「聞きたい」と思うことに始まり、「イエスの声」に親しむ関わりを十分にとり、イエスの声に馴染んでいなければ、その上に「聞き分ける」感性を常に磨かなければ、心の深みから聞こえてくる「イエスの声」は雑踏にかき消され、聞こえないでしょう。現代の忙しい生活は、余程意識していないと、イエスの声を聞こえなくしていると思います。

Sr.品川ヨシ子