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[コラム]苦しみについて

三田助祭

コロサイの教会への手紙1:24-28

パウロは次のように言っています。「キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」と。

初めてこのパウロの言葉に出会ったとき、わたしは「これはすごい」と思いました。この世の苦しみについて分かったと思いました。イエス様はこの世の救いの業にわたしたちを参加させてくださるのです。イエスの十字架上の苦しみを少しだけわたしたちに経験させてくださるのです。わたしたちもイエスのようになれるのです。

私には常に体に痛みを持ち苦しんでいる友人がます。早速わたしは慰めのつもりでいま学んだすごい教えについて話しました。そしたら友人は「健康で苦しみについて何も知らないあなたに言われたくない。あなたが本当にイエス様のように苦しみに耐えられるか。パウロのように投獄、むち打ちに耐えられるか」。全くその通り。

パウロの教えは自分が苦しいとき思い出すことかも知れません。人を慰めるときにはイエスの言葉:「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」;「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」;「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」などを思い出し、友人の横に静かに座り、常に共にいて苦しんで下さるイエスに祈ることでしょうか。

三田一郎 助祭