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[コラム]弟子として生きる

山本神父

世の中では、弟子のほうから先生を選ぶ場合も少なくない。でも、キリストの弟子は、先生であるイエスのほうから「ついてきなさい」と一方的に選ばれてしまう。

しかも、その選ばれる基準がはっきりしない。というか、この世の価値観とはまったく違うようだ。今日のマルコ福音書によれば、まずガリラヤの4人の漁師に声がかかっている。しばらくして最初の直弟子12使徒が選ばれるが、その当時のエリート集団だったとはおよそ言えない顔ぶれであったことは間違いない。

そうして弟子になったら、今度は一生弟子である。世の中ではたいていの場合、生徒というものは一定期間勉強したり修行したりして資格を得たり、免状をもらったりしたら、今度は先生になっていく。しかし、キリストの弟子の場合は生涯、卒業も免許皆伝もないのだ。まさに「あなたがたの先生はただ一人、キリストだけである」(マタイ23・10)。

弟子として生きる喜びは、そのまま今日の私たちの喜びである。キリストとの出会いの時を生涯忘れず、求道の心を失わずに生き抜けるよう、励んでいきたい。 

 

山本量太郎神父