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[コラム]聖家族の祝日

山本神父

聖家族の祝日ですから、福音書にはマリアとともにヨセフが毎年必ず登場します。A年では、マリアとヨセフが生まれたばかりの幼子イエスを守るためエジプトに避難しますし(マタイ2章)、B年には、イエスの両親は幼子を主にささげるためエルサレムの神殿を訪れます(ルカ2章)。そして本年C年、マリアとヨセフは過ぎ越し祭を祝うため、12歳になった少年イエスとともにエルサレムに旅をします。そして、別れ別れになってしまったイエスを神殿で見つけました。

その時、マリアはイエスに「なぜこんなことしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言います。しかし、ヨセフの言葉はありません。そもそも、福音書はヨセフの言葉を一つも残していないのです。

ヨセフは福音書に何回も登場し、重要な役割を果たしているのに、そこにはヨセフの言った言葉が一つも残されていません。いずれの場面でも、ヨセフは沈黙を守っています。

まさに寡黙の人ヨセフですが、彼は思いもよらぬことに次々と巻き込まれ、それを神の働きかけとして受けとめていきます。身籠もった婚約者マリアを受けとめ、その結果としてまさに多難な人生を生き抜くことになるのです。彼は単に寡黙であるだけでなく、決断実行の人でもありました。

この関口のカテドラル構内に「受けとめるヨセフ」という銅像が立っています。よくあるヨセフ像は手に大工道具などを持っているのですが、このヨセフ像は何も持たず、片手を私たちに向かって差し出しています。私たちを招き、受けとめようとしているようです。

昨年からミサの奉献文の取り次ぎの祈りの中で、司祭は必ず聖ヨセフの名前を加えることになりました。聖家族の祝日のミサでは特に「神の母聖マリアと聖ヨセフ……」と祈りを込めたいと思います。

 

山本量太郎神父