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[コラム]主は祖国で歓迎されない

三田助祭

[福音箇所 ルカ 4:21-30]
わたしには多くのユダヤ人の友人がいます。彼らと会話をうまく進めるには、冗談が欠かせません。あるときこんな冗談を聞きました。「新しい冗談が思いつかないときのために、古くて皆が知っている冗談に番号をつけ、だれかが例えば『5番』と言うと、皆が5番の冗談を思い出して共に笑おう。」と。

イエスがナザレで人々に伝えたかったのは神の愛でした。パウロが第2朗読でイエスが伝えたかった神の愛について述べています。「愛は忍耐強い。・・自分の利益を求めず、・・・愛は決して滅びない」と。イエスは苦しんでいる人を見るとこの愛が心から溢れ出て、その人を癒やさずにはいられません。

イエスの故郷であるナザレに住む人々は、イエスを子供のときから知っていて、イエスが神であることを信じられず、イエスが降り注ごうとしている愛を受け取れません。

わたしたちは常にイエスをもっとよく知ろうと飢え渇いた心を持たなければいけません。もう「イエスを知っている」と思うと、マンネリになり、神の愛、神のいつくしみへの感謝がなくなります。今日の福音に出てくるナザレの人々と同じ間違いに陥ってはいけません。

ミサでは司祭が「主の祈りを唱えましょう」と祈ります。このとき「5番」と言われたときっと同じように、暗記した祈りを口だけで唱えないように気を付けましょう。そして「神様、もっともっとあなたへの飢え渇いた信仰のなかで、あなたに祈ることができますように」と願いながら唱えましょう。

 

三田一郎 助祭