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[コラム]姦淫の女 イエスのいつくしみ

三田助祭

ある男女が不倫関係になってしまいました。パニックになったのは男の一族です。モーセの律法では姦淫の罰は死刑です(レビ記20:10)。ユダヤ人の社会では男が姦淫の罪で罰せられたら将来世代を含むその一族は強烈な屈辱を受けます*。

そこで彼らは考えます。身内外の者に見つかる前に、姦淫の罪を目撃したと言って男を逃がし、女だけを捕まえ、律法学者やファリサイ派の人々のところに女を引いて行こう。もし「男はどうした」と聞かれたら「女が男を誘惑しているのを目撃した」と証言しよう。一族は一人ひとり手に石を持ちます。

ここでイエスの赦しを見てみましょう。イエスは「罪を犯したことのない者が、この女に石を投げなさい。」との一言だけで、赦されるべき人をすべて赦します。イエスはパニック状態で行動した一族を赦しています。手に石を持っていた一族は、静かに退くことによって、自分たちの罪を認めました。イエスは女を赦します。他の箇所では、イエスの前で罪人は回心して罪を赦してもらいますが、この女にはイエスはそれを求めません。何故でしょうか。卑怯にも逃げた男はどうなったのでしょうか。

この物語は15節の「わたしはだれをも裁かない。」の具体例としてここに記されていると聖書学者は言っています。ヨハネの福音書の中では、クライマックスである、イエスの十字架上での罪人の贖いに向かって進んでいます。

*太田道子(新共同訳を作成する委員会のメンバー)。 

 

三田一郎 助祭