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[コラム]常識を超えて

古郡神父10月24日から26日まで、東京教区の司祭集会が行われました。90名近い司祭が東京カテドラルに集まり、自分たちに与えられている使命を確認するとともに、これからの教会がどのような教会であろうとするのかを一緒にみつめる、そんなときとなりました。

司祭集会の一日目には玄侑宗久さんという、芥川賞作家で福島県三春町にある臨済宗のお寺の住職をお招きしてお話をうかがいました。教会外の人の話に耳を傾けることで、刺激を受けるということだったのだと思います。玄侑宗久さんの講話の中で強く印象に残ったのは、現在の宗教界はなんでも迎合し、相対主義的に受け入れてソフト化しているが、しかし、宗教的価値観は本来的に非常識であるはずで、ソフト化とは相容れない部分があるのではないかという話でした。そのような話を聞いた後で福音書を味わってみますと、なるほど、イエスという人こそ非常識な人でありました。今日の福音でザアカイという人は木に登ります。大の大人が木に登るということはなかなかない事ですが、イエスは特にびっくりする様子はありません。それはやはり、イエスという人が当時の社会において非常識な人だったからでしょう。ユダヤ教による支配体制を批判し、弱くされている者たち、傷ついている者たちと生き続けたイエスこそが非常識そのもので、その非常識さによってイエスは殺されていくことにもなったのです。

イエスと結ばれているキリスト者は、現代にあってどのように生きていくべきでしょうか。競争が当たり前、自己責任で切り捨てられ、また使い捨てられていく現代にあって、それでも常識を超えて愛を生きたイエスのように、わたしたちも囚われない心で人々に出会い続けていきたいのです。その歩みの中で、神様からの常識を超えた愛とわたしたちも出会っていくことになるのでしょう。救い主イエスを迎え入れようとするわたしたちの歩みを、神様がいつも祝福してくださいますように。

 

古郡忠夫 神父