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[コラム]なんとしても

古郡神父

先日教会学校のクリスマス会を開催いたしました。いつもの教会学校の子どもたちの他に聖園幼稚園の子どもたちや教会学校の子どもたちの兄弟、お友達なんかもきてくれて、こどもたちが70名、大人をあわせると130名以上でのクリスマス会となりました。

普段、教会学校の子どもたちはパワーが有り余っているわけですけれども、自分より小さい弟や妹がそこにいると、教会学校での姿とはまたちょっと違って優しいお兄さん、お姉さんになったりしていました。小さい子がいるとなんだか優しい気持ちになるのです。仲の悪い二人の間に 赤ちゃんが来ると、なんだか自然とその二人も仲良くなったりする、そういうこともあるかもしれません。赤ちゃんが笑ったら、こちらも釣られて笑ってしまいますし、赤ちゃんが困っていたら、図らずとも協力して赤ちゃんを助けてしまいます。赤ちゃんがそこにいるということで、仲の悪かった二人もいつの間にか赤ちゃんを中心として仲直りしている、そういうことがやっぱりあるように思います。

赤ちゃんを前に、小さい子を前にわたしたちは緊張して構える必要はありません。神様が赤ちゃんのお姿で来られたということもそういうことなのではないでしょうか。わたしたちは大胆に神様に近づいていいのです。神様に大胆に近づいて、そこから優しい人になるように招かれているのです。神様であり、人である赤ちゃんの救い主。まことの神であり、どんな姿でもこの世に来ることのできた方。でも、まことの人としてこの世に来られ、小さい、小さい赤ちゃんになられた方。すべての人に、なんとしてでも、御自分の愛の中で生きてもらいたいと望む神様のお姿が飼い葉桶の中で眠る幼子のお姿なのです。

今年は25日が日曜日ですから、24日の土曜日の夜にクリスマス夜半のミサを、そして25日の日曜日にクリスマス日中のミサをお捧げする、そんなスケジュールになっています。いつもより、さらに多くの方がいらっしゃることのできるようなスケジュール。たくさんの方が神様のなんとしてもあなたと出会いたいという思いと結ばれますように。

 

クリスマスおめでとうございます。 

古郡忠夫 神父