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[コラム]わたしは羊の門である

三田助祭

[福音箇所 ヨハネ10:1−10] 

イエスが十字架上で息を引き取られたとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真二つに裂けました。垂れ幕とは神と人間の間にあった罪の象徴です。罪のためにわたしたちは天国で永遠の命をいただけない状態に陥っていました。イエスがわたしたちの罪を担ってくださり、生贄として死んでくださいました。イエスの死の瞬間、神とわたしたちをさえぎっていた罪がなくなり、垂れ幕が裂けたのです。イエス・キリストは陰府に降り、過去に眠りについていた人々も天に導かれました。一度おこなわれた贖いによって過去に亡くなった人々も、2000年後に生きるわたしたちもキリストによって天国に導かれます。

「わたしは門である。わたしを通って入るものは救われる。」とあるように、人は門であるイエスを通ってのみ御父のもとに戻るのです。もし人がイエスの救いを拒否したならばその人は天国に導かれませんから地獄に堕ちるのです。

わたしたちはか弱い羊に例えられています。羊が盗人や強盗につれて行かれたらその結末は死です。神とわたしたちの永遠の離別です。

羊は仲間と一体となり、羊飼いの近くにいて盗人や強盗に連れて行かれないようにしなくてはなりません。盗人や強盗とは何の象徴でしょうか。それは又もや人間と神の間に垂れ幕をつくろうとする悪魔の誘惑です。ファリサイ派の人々にとってそれは神が降り注がれる愛を無視して、律法を盾にイエスを逮捕し、自分たちの地位を守ろうとする誘惑です。

三田一郎 助祭