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[コラム]婚宴は客でいっぱいになった

シスター品川

今週も、ファリザイ人や民の長老、祭司長たちに向かって話された一連のたとえばなしのつづきです。

王さまは「神さま」、王子は「イエスさま」、婚宴は「天国の宴」ですから神の国の完成の喜びの宴への招きです。この話をこの場で聴いている民のリーダーである人たちには、伝えたい内容がよく理解できるように話されています。

もし、あなたが友人の結婚式に招かれていて、披露宴に「出席」と返信を出したら、招待した人はそのように場所や宴会の準備をするに違いありません。招待を受けた人が勝手に別の予定を入れて当日になって断ったりしたら、どうなるでしょう。目に浮かびませんか。自分がこの主人だったらどうするだろう、と立場を置き換えてみると分かります。

招待者に断られた主人は、山のようなご馳走を前に、憤懣やるかたない心で途方にくれたのです。そこで、召し使いに「町の大道りに出て、見かけた者は誰でも婚宴に連れてきなさい」と言ったので、婚宴会場は客でいっぱいになりました。

わたしたちはファリザイ人でも民の長老でも、ユダヤ教の祭司長でもないし、招待状もいただいていないから関係ない話だと思ってはいけません。確かにわたしたちは大道りを歩いている時に、突然に婚宴に招き入れられるでしょう。輝くような光りに照らされた天国の光景や、楽しい音楽、そのうえにすばらしいご馳走の席を前にしたら、驚きの歓声を上げるでしょう。わたしたちは最初から、その予定者ではなかったのですから、これは無償のプレゼントなのです。

ところで、急に呼び込まれたので、「ふさわしい婚礼の服を着ていなかった者が一人いた」と、聖書にあります。この人は礼服を着ていないことを咎められ、あげくの果てに外の暗闇に放り出されてしまいます。この分かりにくいお咎めは、いつでも礼服を着て歩くという外的なことではなく、いつ神の国に呼ばれても良いような生き方を常にしていることを指しています。

イエスさまは民のリーダーたちに、このたとえ話によって最後通牒をしています。そして、わたしたちもその宴に招かれていること、それも予定外の時に突然に。神の国の宴にいつ呼ばれてもよい生き方をしたいものです。

 

Sr.品川ヨシ子