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[コラム]ファティマ

古郡神父

前回の待降節第4主日の「ファミマ」というタイトルのコラム、「ファティマ」のマリアさまと勘違いされたのか、たくさんの方がお読みになってくださって、信者であるないを問わず多くの反響をいただきました。あらためてたくさんの方がこのコラムを読んでくださっている事をとても有難く思います。わたしたちの日常にいつもともにいてくださる神様を、これからも少しでも伝えていくことができますように、このコラムを使わせていただきたいと思います。

さて、先日とても嬉しい知らせがありました。それは広島教区のおおにし助祭が司祭に叙階されるという知らせです。わたしはこの時を待っていました。おおにし助祭は神学生のときから、青年たちにとても慕われていました。慕われていたというよりは、よいお友達になっていたと言ったらいいでしょうか。おおにしさんはとにかく普通のお兄ちゃんなのです。全然叙階の知らせがなかったので、なんでだろうと思っていましたが、その普通さゆえに、司祭団の中でなかなか理解されなかったのではないかなと今は思えます。

イエスはシモン・ペトロに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とことばをかけます。あなたが必要だと言ったのですね。その後ペトロを十二使徒のリーダーに選ばれるわけですが、ペトロのその後を聖書を開いて見てみても、人間性丸出しのダメなペトロの姿ばかりが描かれています。イエスはなぜペトロを選んだのでしょう。それは、ダメさゆえに、弱い人に寄り添えるそういう姿をイエスは見たのではないかと思うのです。色々なリーダーシップがあると思いますが、ペトロが十二使徒のリーダーになっているところに、小さくされているものをけっして排除することのなかったイエスの姿がやはり表れているなと感じます。

わたしは早くおおにし神父さんに相談したいのです。きっと、高いところからではない、地に足のついた普通の感覚のアドバイスをくれるでしょう。そういえば広島教区には、昨年関口教会から出発し、日本中を回っていたファティマのマリア像も安置されているのでした。3月21日、おおにし神父さんの誕生を見届けた後に、そこにも立ち寄りたいと思います。

 

古郡忠夫 神父