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[コラム]熱情の神

シスター品川

イエスの父を想う、激しい愛が爆発したのです。今日読まれる福音の中のイエスは、怒りに満ちています。「エルサレムの境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちをご覧になった後、縄で鞭を作り、羊や牛を追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒された。」(ヨハネ2章14-15)その場にいた人たちは何が起こったのかと、驚き逃げ惑った姿が目に浮かびます。

イエスは言われます『「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家にしてはならない」と。弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。』(ヨハネ2章16-17)

主の祈りに「父よ、み名が聖とされますように、御国が来ますように、み心が天に行われる通り地にも行われますように」と、イエスは御父を心から尊敬しておられました。イエスと父とは深い愛で固く結ばれていました。父を想う心は行き付くところまで激しく燃えて行き、爆発したのです。

神殿を商売の場にした人々に対して、イエスは厳しい言葉と行動で戦われます。イエスは父を想い、神以外の神に向かってひれ伏したり、それらに仕えたりすることを許されません。出エジプトには「わたしは主、あなたの神、わたしは熱情の神である」(出エジプト20章5節)とあります。

イエスは全人格を賭けて天の父を愛されたことが見えます。神の教えに反すること、神を受け入れないこと、この世と妥協しながら"なあなあ” のどっちつかずに生きて行くことを良しとされてはいないのです。いろいろな理屈をこねて、よりやさしい方を選び、神から遠くなっても自分に優しく、何かと理由をつけては容易さに流れる毎日を"寛大な神さまの配慮”位に考え、突き詰めては考えない生温い自分の信仰生活を、もう一度、目を開き見直ししたいものです。

怒りや憤りが起きて来た時、それは何のための怒りか、自分のための怒りか、それとも他の誰かのために怒っているものか、それはどこから来たのか、自分の霊的生活の進歩のために心の動きを丁寧に振り返る習慣を身に付けたいものです。

 

Sr.品川ヨシ子