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[コラム]いくら石臼があっても足りない

三田助祭

[福音 マルコ9:38−43、45、47−48]

今日の福音には「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかに良い。」とあります。この箇所では「小さな者」とは必ずしも子供ではありません。でも「子どもをつまずかせてイエスの道から逸れさせることは大きな罪である」とも読めます。

2018年9月23日のカトリック新聞に「シリーズ『外国につながる子供』たち」と題する記事がありました。

具志さんは1990年に両親に連れられてブラジルから移住して来ました。日本語が全然分からないまま日本の学校に入れられました。言葉が話せないという理由でいじめられ、ぐれて、暴走族からヤクザにまでなりました。

喧嘩に加わった具志さんは警察に捕まりました。拘置所で回心し、出所後はブラジル人児童が彼の通った同じ道を通らないように、この15年間全国の小・中・高校を回って彼の経験について講演しているそうです。いじめや差別の原因は「親が子どもに差別を植え付けるからだ」と具志さんは強調します。

わたしの家族はわたしが14歳のとき、父の転勤でアメリカに行きました。あるとき母が道で小さな男の子に「あなたは日本人か、中国人か、チンパンジーか?」と聞かれたと言って笑っていたのを今でも覚えています。この小さな子も親から偏見を植え付けられていました。

子どもを育てる中でわたしたちは自分の偏見をどれだけ子どもの頭に詰め込んでいるでしょうか。そして石臼がどれほどあっても足りないくらい子どもたちをつまずかせていないでしょうか。

 

三田一郎 助祭