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[コラム]“もはや海もなくなった”(ヨハネの黙示録21:1)

西川神父

今年は聖書朗読配分がC年ですので、復活節の第2朗読はヨハネの黙示録が読まれていきます。一般的に黙示録というと、ベトナム戦争を描いた『地獄の黙示録』に代表されるようなイメージをどうしても抱いてしまうのは仕方がないのかもしれません。そこに書かれているものを字義通りに受け止め、荒唐無稽なSF仕立ての読み物として聞くことを教会は期待していません。古代教父の一人であるリヨンのイレネオ(エイレナイオス)はヨハネの黙示録が書かれた時期はドミティアヌス帝(A.D.81~96)のころだと語っています。ちょうど、教会がローマ帝国による敵意と迫害にさらされていく時代背景のなかで、教会共同体を励ましていくために多種多様なシンボルを重ね合わせています。いわば、様々な楽器を奏でていくオーケストラのような形式で表現しているものと言ってもいいかもしれません。

今日の第2朗読は「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」(ヨハネの黙示録21:1)と告げていきます。天地創造の出来事の中で、「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」(創世記1:6)と神は言われ第二の日に天を、そして水を集めて第三の日に地と海とを創造されていきます。創世記では神によって与えられた秩序ある領域としての「海」が、どうしてこの黙示録の箇所でなくなっていくのでしょうか。

注解書(WBC,vol.52c p.1114)を見てみると、ちょうど今日の朗読箇所の21章の1節から5節aまでが、聖書の修辞法としてよく使われる交差配列(chiasmus)の構造になっています(下記参照)。わかりやすい構造で、1節bと4節bが囲い込む形で2節~4節aの箇所が強調されています。そこでは新しい創造のプロセスによって、わたしたちの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる方として神が私たちと共にいることがはっきりとわかることが示されていきます。囲い込みのなかで、「海」は、死、悲しみ、嘆き、労苦と対置されていることから、ここでの「海」の意味合は、闇の領域のシンボルとして語られているようです。ヨハネの黙示録が単に神秘的な幻によってわたしたちを恐れさせるのではなく、キリストを信じる者への慰めと確固たる希望を告げていく書物であることを教えてくれる箇所と言えます。

<参考>

A 新しい天と新しい地(v1a)

          B 最初の天と・・・去っていき(v1b)

                        C もはやなくなった(v1b)

                                      D 聖なる都、…(v2)

                                      D’ 神は自ら人と共に住み
            ・・・(v3-4a)

                        C’ もはや死はなく、もはや悲しみも
        嘆きも労苦
もない(v4b)

          B’ 最初のもの過ぎ去ったからである(v4b)

A’ 玉座に座っておられる方が…万物を新しくする(v5a)

 

天本昭好 神父