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[コラム]「聖霊来てください」(聖霊の続唱)

西川神父

「来てください」と呼びかけていく歌は、日本語では新垣先生が作曲された「マラナタ」(歌名の原語はアラム語:主よ来てくださいの意味)があり、「久しく待ちにし(Veni, Veni, Emmanuel)」「みたまよ来たりて(Veni Creator Spiritus)」などのグレゴリオ聖歌由来の歌もあります。日本語に翻訳されていない「来てください(Veni,)」で始まる歌も多くあるようです。聖霊の続唱もまた、原題はヴェニ・サンクテ・スピリトゥス(Veni Sancte Spiritus)といいます。

この歌はカンタベリーの大司教であったステファヌス・ラングトンによって作詞されたのは疑いないことと今日では考えられています。彼はウルガタ訳聖書の章節の区分を定めたことで知られています。カンタベリーの大司教(後に枢機卿)に叙階した時期はいわゆる後期十字軍の時代、教皇インノケンティウス3世とイギリス国王のジョン王が激しく対立した時。マグナ・カルタの成立にも参与したそうです。(新カトリック大事典の「ステファヌス・ラングトン」項目参照)

王権と教皇権の対立、王侯貴族の権力闘争のなかで教会もまた権益の争奪戦に巻き込まれ魑魅魍魎とした群れのなかで喘いでいたのでしょうか。歴史を踏まえて想像力を逞しくすれば、中世ヨーロッパの社会体制が変容していくなかで吹き荒れていた時代の殺伐とした風に新たな息吹を求めていく歌のようにも聞こえてきます。

イヴ・コンガールによれば12世紀の教会は人類の社会性、「兄弟性」の意味の再発見に彩られているとのこと。聖霊の信心と結びつき、フランスの巡礼路に整備された聖堂、修道院、施療院などの諸施設は聖霊に捧げられたものが数多くあるそうです。

わたしたちが「来てください」と呼びかけていくのは、「“霊”と花嫁とが言う。『来てください。』これを聞く者も言うがよい、『来てください』と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」(ヨハネの黙示録22:17)と聖書が最後に書き記す通り、それに応えてくださる方が渇きを潤し、命の水を与える者としてわたしたちを招いてくださっているからに他なりません。こうした呼応関係の中で「来てください」と祈っていくのでしょう。わたしたちの祈りに聖霊の働きがもたらされ、わたしたちには霊の結ぶ実が与えられる。それは「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5:22-23)ということを忘れないようにしたいものです。

長い伝統の中で培われてきた聖霊理解のもとで、教会が「聖霊来てください」と呼びかけていったとき、どんな時代の風にも吹き飛ばされることのないわたしたちがいること、そのわたしたちは神の息吹によって生きる者としての姿がそこにあることでしょう。ミサの中で一年に一度しか歌いませんが、ともに心を込めて歌いたいと思います。

 

天本昭好 神父