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[コラム]「主よ、あなたに従います」(ルカ9:61)

西川神父

今週から年間の主日がはじまります。ルカ福音書を通してイエスがエルサレムに向かっていく旅路が読まれていきます。ちょうど今日の福音(ルカ9:51-62)は、その出発点となる場面です。イエスに従おうと願う人々との出会いからはじまっていくこの旅路のなかで、イエスが告げる福音は単に聞く人の耳に心地よいだけのものではないようです。

今日の第1朗読ではエリシャの召し出しの箇所(列王記上19:16b,19-21)が朗読されていきます。エリシャはエリヤに向かって「わたしの父、わたしの母に別れの接吻をさせてください。それからあなたに従います。」と語ります。それに対してエリヤは「行ってきなさい。わたしがあなたに何をしたというのか」と応えていきます。同じように福音朗読ではイエスに向かって別の人が「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」と告げても、イエスは「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と、にべもなく応えていきます。

文脈を抜きにしてこれだけ聞くと、やはり預言者の召命よりも、イエスの弟子の召命が、はるかに厳しいもので弟子の覚悟を求めていくように聞こえてきます。イエスが求めていくことのハードルの高さばかりが心に留まり、わたしたちが従うことが困難を極め、社会のなかで歩むことが難しいものであるかのように錯覚してしまいそうです。しかしながら、福音がこうした錯覚しかもたらさないものなら、教会も生まれることはなかったでしょう。

本来、福音朗読と第1朗読は、新約と旧約の密接な結びつきの中で読まれており、第2朗読の使徒書は典礼暦のなかで継続的に読まれます。それゆえ、福音との直接的関係で朗読されてはいないのですが、今日の第2朗読で語られるパウロの考え方が、イエスが語られていくことの意味を探していく手がかりになるように私は思います。パウロは「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです」(ガラテヤ5:13)、「霊の導きに従って歩みなさい」(ガラテヤ5:16)と私たちに教えます。このパウロの教えと同じようにルカ福音書においてはガリラヤで宣教を開始したイエスが会堂で預言者イザヤの巻物を目にとめられた場面で次のようにイザヤ書を引用していきます。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音をつげしらせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ4:18-19,イザヤ61:1-2の引用)

イエスはさらに「この聖書の言葉は今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と語られていきます。主の恵みの年とはヨベルの年(一切の負債が免除される年:解放の時)を指していきます。ここから、ルカ福音書が伝えるイエスが歩まれていく旅路は受難・死・復活への旅路であると同時に、そこで出会っていく人を解き放ち自由にしていく旅路と言っていいでしょう。わたしたちが自分の歩きやすい道を自分で選んでいったとき、知らず知らずのうちに様々なしがらみにからめとられているかもしれません。それこそ、奴隷の軛に繋がって身動きできない者に成り果てているかもしれません。しかし、イエスと出会い福音を聞くことによって、わたしたちが何に捕らえられているのかが浮き彫りになっていく。そこから解き放たれた自由を得る生き方へと招かれていることを今日の福音は告げているのでしょう。

 

天本昭好 神父