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せきぐち – 2012年12月号

クリスマスメッセージ「一緒に住みたい神」

主任司祭 山本量太郎

主任司祭 山本量太郎

一目でも見たい
中国残留孤児のことがあまり話題にならなくなって何年にもなる。第二次世界大戦が終わって70年近くたとうとしているのだから当然かもしれない。
でも、毎年、中国から何人もの残留孤児-といっても中高年の方々だった-がわが国を訪れていたころのことを今でも昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。

テレビ画面を通してだったが、まだ見ぬ両親を一目でもいいから見たい、と思う心が切々と胸に迫ってくる。あなたは本当は日本人だ、海の向こうの日本には、あなたを生んだ実の両親がまだ健在かもしれない。そう聞かされたとき、こみ上げてくる思いを抑えられなかったにちがいない。
 
まだ見ぬ両親
まだ見ぬ両親の存在を知るだけで満足できる人はだれもいない。その存在を知れば必ず会いたくなる。会えばきっと抱きしめたくなる。そして、いつまでも一緒に住みたくなる。それが人間なのだ。人間が真に知るとは、そういうことなのであろう。

世の中には、知識さえ得られればそれで十分なことも、たくさんある。だが、人生にとって真に大切なことは、それが大切であればあるほど、頭だけでなく、からだ全体で体験しなければ、ほんとうに「知る」ことはできない。
 
人間の願い
ある時、ある人の中で、神を知りたい、と思う心が芽生える。疑ったり、打ち消したり、忘れていたり。でも、なぜか知りたい気持ちは高まる。そして、見ることさえできれば、触れることさえできれば、と思いは募っていく。どれほど多くの人の心の中で繰り返されてきたことか。

しかし、神のほうから見せてくださらなければ、私たちは神を見ることができない。神のほうから近づいてきてくださらなければ、私たちの力だけで神に近づくことはできない。神のほうから一緒に住もうと言ってくださらない限り、いくら私たちが一緒に住みたいと願っても、それはかなわないことだ。
 
神からの思い
聖書は一貫して告げている。実にありがたいことに、天地創造の初めから私たち人間のことを知り尽くしておられる神は、私たちを抱きしめたい、私たちと一緒に住みたいと願っておられたのだ、と。

そして、長い旧約の時代が終わり、時が満ち、見えない神が見える姿をとって、私たちのところに来られた。

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示された」(ヨハネ1・18)。教会は毎年、この福音で降誕祭を締めくくる。

今年のクリスマス、「一緒に住みたい神」の福音が一人でも多くの人に届きますように。

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