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せきぐち – 2012年12月号

市川 裕神父様、司祭叙階60周年おめでとうございます

今はペトロの家でお過ごしの市川神父様に、たくさんの小教区や司教館で働かれた60年間を振り返っていただきました。

東京カテドラル関口教会『せきぐち 2012年12月号』
 ペトロの家での現在の市川神父様。

東京カテドラル関口教会『せきぐち 2012年12月号』
 1951年、お兄様の司祭叙階式で…。
 右側で助祭の祭服をお召しの市川神父様。
 〈写真提供:ベタニア修道女会〉

「60年間、消しゴムがあったら消したいくらいの恥ずかしい司祭生活でしたね。両親は九州の金田炭鉱で仕事をしていて、両親も私と兄(一歳違いの市川嘉男神父)が叙階する前に信者になった。どんな神父になりたかったかなんて、そんなこと考えてもいなかったな。兄弟で、お互いにどんな神父になりたいとか、そんな話をしたこともない。ひとつ違いなんて、かえって喧嘩ばかりで。

関町の神学生だったときに赤紙が届いて、出征。朝鮮半島を抜けて万里の長城をくぐったとたんに砲撃を受けて。でもその頃は東京だって、この関口のあたりだって焼け野原だったからね。

でもまあ、弾が当たらなかったのだから、悪運だけは強いのだろうね。戦場で神さまを疑わなかったのかと言われても、神様がいないなら、何にも生まれていないわけだし、それこそ空気だって、神様が作ったからで、もともとは何にもないものなのだから、すべての源の神さまがいないと、話にならないでしょ。私たちは、神さまのおかげで生まれた、その命を繋げていくほかはないのだから。

とにかく、戦争中は国から、神父になってからは教会から養ってもらったな。しかも、早い人は二十歳そこそこで、普通の会社員なら新入社員でしかないのに、神父様と「さま」をつけて呼ばれてね、名家のご子息でもないのに。そんなことだと、人間おかしくなっちゃいますよ。私はほかにできる仕事もないし、一緒に飛び出そうと思うほどの女性にも巡り会わなかったし、なのでまあ、長いこと続けてきました。昔の写真も手元にはないな。全部焼いてしまった。神父なんて、所詮消耗品、使い捨ての道具でしかないからね、それでいいんです。

ペトロの家に移ってからは、毎日7時の朝のミサを交代で司式する、決まっている約束はそれだけ。時間はたっぷりあるから週に一回、4~5人の信者さんにギリシャ語の講座を開いて。ヨーロッパで大学を出たような人にとってみれば、ギリシャ語なんて日本の漢文みたいなものだから、たいしたことはないんです。今はルカの福音書を読んでいるところだね。あとはじっとしていると病気になっちゃうから散歩して。のんびり暮らしています。

元気の秘訣? みなさんのお祈りと献金のおかげですね。感謝しています」(談)

市川 裕師 司祭60年の在任暦

  • 1924年6月11日生まれ
  • 1952年12月22日 司祭叙階
  • 1953年4月~1957年3月 高円寺教会(助任)
  • 1957年4月~1958年3月 世田谷教会(助任)
  • 1958年4月~1959年3月 清瀬教会(助任)
  • 1959年4月~1969年8月 清瀬教会(主任)
  • 1969年9月~1973年3月 関町教会(主任)
  • 1973年4月~1975年5月 マニラにて研修
  • 1975年6月~1985年4月 成城教会(主任)
  • 1985年4月~1988年3月 司教館、ナイス担当
  • 1988年4月~1994年4月 浅草教会(主任)
  • 1994年4月~2000年4月 小平教会(主任)
  • 2000年4月~2002年4月 高円寺教会(協力)
  • 2002年4月~2011年4月 関口教会(協力)

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