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せきぐち – 2013年6-7月号

渡辺治神父様追悼特集「その時の出来事」

荒井金蔵神父様談話(2013年6月6日)

荒井金蔵神父様

渡辺神父は私の助任でした。彼は非常に元気で健康的で、素晴らしい宣教の熱意をもっていました。

戦争が終わり、関口教会にもようやく人が来るようになった時期でした。

当時のミサは侍者がいなくてはできませんでした。侍者の脇に青山伝道士がついて、ラテン語のミサでした。ミサが終わると侍者の子どもたちは、よく「ああ、くたびれた」と言っていました。ミサの間、ちゃんとひざまずいていられなくて、祭壇のわきでうずうず動いたりします。「おい、ちゃんとやれよ」と言っても「はあー」なんて言っている。

その時代、渡辺神父は、そういう子どもたちをまとめようとして一生懸命でした。

夏休みに入り学校が休みになって、侍者の子どもたちは、暑い、暑い、泳ぎたいなあ、と言っていたので、渡辺神父は「おれんちに行こう」と提案しました。生まれ故郷の家の近くに千曲川があって、そこで泳げるからと、侍者の子どもたちを連れて行ったのです。善光寺の手前のあたりでした。

彼は泳げたけれども、子どもたちを見守っている方がいいだろうと考え、「お前たちの泳ぎをみてやるから、もしよければ教えてやるから」と言って、水着には着替えず、実家の方から腰かけて見ていました。子どもたちは2~3人で川に飛び込みました。当時の川は、戦後の東京復興のために、川底の小石を業者がすくい上げて東京に運んでいた時代だったので、ところどころに穴があったらしい。そこに一人の子どもがはまっておぼれそうになった。渡辺神父は急きょ、おそらく普段着の恰好で、飛び込んだ、そして子どもを救い上げたんだけれども、彼は心臓麻痺で亡くなってしまった。

遺体は彼の実家に運ばれ、そして関口教会の電話がなって、私は駆け付けたのです。ちゃんと葬儀をしなければならないということが頭にありました。もう一人の神父と一緒に車で迎えに行きました。

関口では、青山伝道士が、信者さんたちに連絡して、みんなが、これはたいへんだと、お御堂の準備をしてくれていました。ご遺体が着く時間を待っていました。そしてご遺体を受けて、仮聖堂で通夜、次の日に葬儀が行われました。そして府中の墓地に運んで埋葬しました。

土井大司教様も、これは業務上の死であり、子どもたちを守るための殉死、救助死というものだと、「残念なことをしたなあ」と目をうるませて言っておられました。大司教様には珍しいことでした。

一緒に行ってくれて、共同司式のない時代だったが、葬儀ミサにも出てくれた神父は「自分の命を捨てて、人を救う」という聖書の言葉を引いて「それは幸いなこと」とさかんに言って、渡辺神父をたたえていました。

当時の地方版の新聞に救難事故として記事が載りました。カトリックの若い神父が子どもを救い上げた事実があった、今後同じような事故がないように、記念碑みたいなものを作りたいという声も出ました。当時かなり騒がれました。

それを朝日新聞が取り上げて、地方版ではなく、全国紙でとり上げたいと、私のところに新聞記者がきて、いろいろ取材しようとしました。で、私は「ちょっと待ってくれ。カトリック教会に関係することなので、これは一人では返事はできない」と言って、土井大司教様に事情を説明しました。大司教様は「それはやめてくれ」と言われたので、結局、全国版の新聞に出ることはありませんでした。

(文責・編集部)

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