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せきぐち – 2013年10月号

今年の1月に米寿を迎えられた中込良夫さんに、長い間、関口教会で活動されている思いや今後の展望について寄稿していただきました。

貧しき人々の教会

中込良夫(新宿地区)

私は昭和25年、札幌北十一条教会で、フランシスコ会ルカ・ベルトラム神父から洗礼を受けた。昭和32年、聖母病院に勤務となり、東京に戻り、結婚し、関口教会の所属となった。
当時の主任司祭は荒井師、その後は塚本師、岸師、宮内師、森師(後の司教)、酒井師、吉池師、門馬師、岩橋師、立花師、そして山本師。
それぞれの神父様に、その時々の思い出がある。心に残るのは助任渡辺治神父。50年前の夏の練成会で、溺れる子供を助け、自らは力尽きて亡くなられた。
子供が幼かった頃、お世話になった塚本神父。時の助任は鬼の関戸、仏の鈴木のコンビ。活気があった。森神父の時代、色々のグループが自由に活動し、グループ会議が盛んだった頃も懐かしい。
その頃、壮年会も賑やかで、重鎮の松井、後藤先生、教会の経理担当の福永、加藤氏、聖なるかな小父さんの越川さん、慶ちゃんで親しまれた中村さん、松村さん、木下さん、金岡さん、田中さん等。走馬灯のように心に浮かぶ。皆、故人となられた。

教会生活のなかで大きな変化は第二バチカン公会議だった。典礼がラテン語から国語に、背面から対面ミサに。信徒教育も公教要理から聖書を重視するようになった。
関口教会でも「み言葉をともに」が主日のミサ後、福音を分かち合っている。ここ数年、幸田司教が推進する「聖書の集い」が多くの教会で行われている。聖書を読み、生活の場で、思い、感じたことを話し合う。議論しない、批判しないのが原則。「み言葉をともに」もこの方針に従っている。

最近の大きな出来事は、今年3月、フランシスコ教皇の選出だった。ヨーロッパ以外の南米出身、教皇庁の要職に就いたことがないイエズス会士。教皇は就任後「貧しい人々の教会」を提唱された。
南米と言えば「解放の神学」の発祥の地。ペルーのマヌエル加藤神父と同年輩、同じリマ市に在住のグスタボ・グティエレス神父の著書『解放の神学』が発端となった。ブラジルのボッフ神父(司祭を辞めさせられた)に及ぶ流れに、ローマとの緊張状態があった。貧しい人々の側に立つ選択が再認識されるようにと願っている。

聖書では、「貧しい人」がたびたび語られる。「貧しい人は幸い」は有名。山谷のオッチャンにこの言葉を言えば、「そんならお前が貧乏になれ。怖くてなれないだろう。貧乏はみじめだ」と答えるだろう。
「心の貧しい人々は幸い」では「霊において貧しい人」の別の訳もある。イザヤ書(57・15)「へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれた心の人に命を得させる」に出会った時、感激した。
永年、山谷のクリニックや薬物依存のリハビリ施設ダルクに関わり、多くの人々が心を打ち砕かれている状況に遭遇。心の病(うつ病、統合失調症等)、知的障害、身体障害、発達障害、家庭内暴力、学校や職場での挫折等で、人々は心に深い傷を受ける。その回復に、時には医療者より心優しい同伴者が必要なことを知らされた。

日本の自殺者は年間3万、引きこもり70万、生活保護215万、孤独な高齢者はますます増える。中南米の社会構造による貧しい人々の差別、抑圧とは違った対応が求められる。
 90才近くなっても、社会に居場所が与えられているのは、ボランティアを続けてきたからと思う。感謝のうちに、自戒として、貧しい人々に近づく。彼等の声を聞く。悲しみ、苦しみ、不条理を体験した人々から学ぶ。
 ボランティアは仲間が大切。そして楽しくなければならない。祈り、実行して、委ねる。

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