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せきぐち – 2014年1-2月号

新成人に向けて

運営委員会委員長 金澤雄一郎

運営委員会委員長 金澤雄一郎

2012年のイースターに運営委員会委員長を引き受けてから1年と10か月ほどが過ぎ、山本神父様、運営委員会委員を始め信徒の皆さまに助けられて、ここまでやってくることができました。どうもありがとうございました。

今回「せきぐち」1・2月号に新成人に向けてのアドバイスや励ましを書くように依頼をうけました。私に限らず多くの方のアドバイスは「自分の道を自ら選び、それに向かって努力すること、そしてその選択の結果の責任を自ら背負うこと」だと思います。したがって私からのアドバイスや励ましは必要ないでしょう。代わりに私が強烈なメッセージを受け取った、あるいは考えさせられたニュースや身の周りの逸話を、三つお話しします。

まず1972年の2月に札幌で開催された冬季オリンピックです。当時70メートル級と呼ばれていたノーマルヒルのジャンプで日本人の3選手が表彰台を独占したことがありました。私はこの快挙を当時志賀高原のスキー場で聞き、多くの同級生とともに喜びましたが、同時にこれから世界で競争していくという日本の宣言だと理解したことをよく覚えています。そしてそれ以外の道はないのだなという覚悟を当時16歳の私に教えてくれた瞬間でした。

次に自分の未熟さを思い知らされた言葉です。私は大学の時運動部でアイスホッケーをしており、1979年のある大会の決勝戦で敵方がパワープレーという状況でした。もし冷静であったなら避けられたペナルティを私が犯し、ペナルティーボックスの方向を審判に指差された時に、センターフォワードの同級生にかけられた「お前も行っちゃうの?」という言葉は今でも忘れていません。ペナルティーボックスの中で、「なんていうことをしてくれたのだ」という言葉をこのように丁寧に表現することもできるのだなというつまらないことを考えながら、自分のチームを5対3の不利な状況に陥らせた自らの軽はずみな行動に、いてもたってもいられなくなったことを今でも覚えています。

最後にアメリカで博士課程の大学院生であった時の話です。博士論文というのは3編の論文が一貫したテーマで構成されており、その前にイントロダクションの1章が付いたものです。私は最初の2編を6か月程度で書き上げたのですが、3番目の問題は、合わない絨毯を部屋に敷くようで、一向に進みません。そんな状態で6か月くらいたった1987年の秋、夜中に指導教員から電話がかかってきました。寝ぼけ眼で電話をとると、この問題をこのようにアプローチしてみてはどうかという提案でした。私が夜寝ている時に世界に名だたる指導教員がこの問題を考えているということに頭が下がる一方、自らの怠惰さに情けなくなったことをよく覚えています。この話には続きがありまして、この統計学の問題は指導教員が提案したアプローチとは別の解法を見つけることで解決しましたが、それから20年以上たった2010年ごろに姿を変えながら経済学の問題として私の前に顔を出すことになります。大学院生時代にあの難しい問題を経験していなかったら、この姿を変えた問題に対しても必ず解決できるという自信と勇気は持てなかったかもしれませんね。

つまらない話をすることになってしまい申し訳ありません。変わった人だなと読み流して頂いて結構です。もし少しでも参考になることがあればとてもうれしく思います。

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