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せきぐち – 2014年10月号

新たな出発の時に

主任司祭 山本量太郎

主任司祭 山本量太郎

カテドラル献堂の日

1964年12月8日、わが家の晩ご飯の話題は、その日行われたカテドラルの献堂式のことだった。父と妹が行ってきたのだ。週日だったから、高校3年生だった私は、ふつうに学校に行った。父は立川の教会委員長をしていたので、おそらく勤めを休んで献堂式に参列したのだろう。すぐ下の妹は高校1年生だったが、そのころ立川教会の助任司祭だった関戸神父様の計らいで聖歌隊に加えてもらい、通っていたミッションスクールのおゆるしをもらって献堂式に出席した。

わが家には、カテドラル建設のためにという貯金箱が居間に置いてあったので、そのカテドラルとやらが、ついに完成したのだ、ということは私にもわかった。

夕食の間、父が語る。新しいカテドラルは、口ではなかなか説明できない。実際に行ってみないと分からない。外から見た感じと、中に入った時の感じは、体験するしかない。それから1年ほどたって私も訪れる機会があったが、その通りだった。そして、もしかしたら父の世代にとっては少し斬新すぎたのかもしれないと思った。

 

公会議のさなかに

父が語ったもう一つの話題を覚えている。今まで聞いたことのない日本語の聖歌が歌われた。それまでのカトリック聖歌集とはまったく違う感じだった、という。その時の私は、この話題には何の関心も示さなかった。しかし、後に、これも画期的な出来事だったということを知ることになる。この日、日本語の典礼聖歌が初めて歌われたのだ。「うるわしい神の家」(典礼聖歌21番)である。

第2バチカン公会議の真っ最中だった。典礼憲章は既に出ており、その後の方向は示されていた。ミサはまだラテン語だったが、近いうちに日本語が導入されることは目に見えていた。そして、それを先取りするかのように、献堂式の中で、新しい日本語の典礼聖歌が披露されたのだった。

 

うるわしい神の家

ラテン語で行われた献堂式の中で、「うるわしい神の家、エルサレム、壁も塔も輝いて立つ」という答唱とともに、「神の家に行こうと言われて、わたしの心は喜びにはずんだ…」と詩編122が、ラテン語ではなく日本語で歌われたのだ。この初めて公の場で歌われた日本語の典礼聖歌の作曲者は、典礼の国語化に貢献された土屋吉正神父さまだと聞いている。まだ、高田三郎さんも新垣壬敏さんも関わるずっと前の話なのである。

 

新しい時の到来

第2バチカン公会議のさなかに行われたカテドラルの献堂式は、東京教区に、そして日本のカトリック教会に新しい時の到来を告げる一つの出来事だった。第2バチカン公会議50周年とカテドラル献堂50周年が、全教会の、そして東京の教会のこれからの50年への新たな出発ともなりますように。

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