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せきぐち – 2014年12月号

クリスマスメッセージ
クリスマスをヨセフとともに

主任司祭 山本量太郎

お気づきでしょうか。先月からミサの奉献文の取り次ぎの祈りの中で、司祭は必ず聖ヨセフの名前を加えることになりました。「神の母聖マリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人…」と唱えているのです。

私は正直なところ、ミサのたびごとに声を出して言うことになってから、聖ヨセフのことを以前よりずっとよく考えるようになりました。

 

ナザレのヨセフ

ところで、聖書にはヨセフという名前の人物が4人は登場します。旧約聖書の創世記に出てくるヤコブの子ヨセフ、結構有名です。新約聖書では、福音書に登場するアリマタヤのヨセフ、勇敢にもイエスの遺体を引き取りました。ついで、使徒言行録に記されている、ユストとも呼ばれるヨセフ、彼はイスカリオテのユダの代わりに12使徒の候補の一人になりましたが、くじではずれました。そして、われらが聖ヨセフです。いうまでもなく、彼はマタイとルカの福音書にあるとおり、マリアの夫、イエスの養父となりました。だから、ただヨセフといえば彼のこと、ナザレの人ヨセフに決まっています。

 

寡黙な人

福音書に何回も登場し、重要な役割を果たしているのに、そこにはヨセフの言った言葉が一つも残されていません。いずれの場面でも、ヨセフは沈黙を守っています。

子どもたちが演じるクリスマスの聖劇では、ヨセフ役の言う台詞が用意されているようですが、それが聖書に載っているわけではないのです。寡黙な人とはまさに聖ヨセフのためにあるような気さえします。昔よく唱えられた聖ヨセフの連願に、「寡黙な人」という呼称を加えたいくらいです。

 

受けとめる人

ヨセフはナザレで大工として平凡な生涯を終え、後世に名を残すことなどなかったはずでした。ところが、思いもよらぬことが次々と起こり、巻き込まれていきます。しかも、彼はそれを神の働きかけとして受けとめていくのです。

悩んだ末、身籠もった婚約者マリアを受けとめます。その結果としての多難な人生を受けとめます。まさに彼は「受けとめる人」でありました。そして、彼は決断の人、実行の人となって生き抜いたのです。

このカテドラル構内に、「受けとめるヨセフ」という銅像がたっています。その像を見ながら、何かが違うなと思いました。子どものころの記憶にあるヨセフ像は、手に何かを持っていたのです。それは大工道具だったのでしょうか。でも、構内のヨセフ像は何も持たず、手を私たちに向かって差し出しているのです。まさに「受けとめるヨセフ」なのだと得心しました。

 

飼い葉桶の傍らで

今年もカテドラルの大聖堂に「うまごや」が完成したとき、私は真っ先にヨセフの姿を探しました。そんなことは初めてです。そこには、もちろん、飼い葉桶に眠る幼子イエスと母マリアの傍らにヨセフがいました。

身重の妻マリアとともにベトレヘムまでやってきたヨセフは、マタイの福音書によれば、今度は、幼子イエスと妻マリアを連れて、エジプトまでの辛い旅に出かけなければならないのです。受けとめ、決断し、実行していくヨセフの寡黙な姿がそこにありました。

幼子イエスの誕生を受けとめたヨセフは、ナザレに居を定めた後、聖家族の一員として、黙々とその生涯を全うしたにちがいありません。ルカの福音書がイエス12歳のころの神殿の出来事の時に、共にエルサレムに上ったことを記した以外は、その死に至るまで何も記載がありません。

ヨセフの悩み、苦しみ、そして決断。すべてを受けとめたヨセフ。私にとって、ヨセフの視点から初めて見るクリスマスです。

 

 

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