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せきぐち – 2015年3-4月号

「古いものに死んで、新しいものに生きる
―過ぎ越し―生きることは変わること」

2015年2月22日(日)、四旬節黙想会が行われ、Sr.中島その枝から講話をうかがいました。以下は第一講話の概要です。

 

シスター中島

これはわたしたちキリスト者にとって永遠のテーマです。わたしたちは変わらなければならないと何回も耳にしますが、実際にはちっとも変わりません。しかし、以前、米国から来日したウルスラ会の心理学者のシスターは、「人間は変わりうる」と言いました。「人間は変わる」ではなく「人間は変わりうる」ということばを聞き、そのことばは胸に深く刺さりました。神さまはいつもお恵みをくださいますから、自分の力では変わりませんが、お恵みをいただければ、変わっていけるのです。
旧約聖書、新約聖書を通して流れているテーマは過ぎ越しと契約です。いつも、今までの古いものに死んで、新しいものに生きるということです。それは、神さまが救いの恵みとしてわたしたちに示してくださっていることです。それでは具体的にどのようにしていけば変わることができるのでしょうか。まず、自分が変わっていくということが大切なのですが、人間が変わるということはとても難しいことです。わたしたちの場合、変わるということは今までの行動が変わるということではなく、神さまとの関係、かかわりが変わっていくということです。人間的に成長している人なら、キリスト者でなくてもたくさんいます。わたしたちの場合は、神さまとの関係も含めての成長ということが言えるでしょう。フランシスコ教皇さまも枢機卿時代に、ご自身が「歳月と人生によって教えられた」と仰っています。皆さまもここまで生きてきた歳月と人生によって変えられてきたことでしょう。人を傷つけてしまったり、失敗して自分を責めたりすることもあるでしょう。しかし、最終的には神さまはすべて善に変えてくださる方です。パウロも「すべてのことを益に変えてくださる。失敗すらも益に変えてくださる。」(ローマ8・28)と言っています。

わたしたちは、色々な刺激を外から受けますが、一人一人すべて受けとめ方が違います。自分の感覚には、自分なりの受け取り方があり、ここでもうすでに歪んで、事実と違ってくることがあります。刺激を自分で受け取り、解釈していきますが、その解釈は、過去の体験や信念や文化的要因、遺伝的傾向、成長段階、育ってきた家庭環境などが起因しています。

人間は、その人の価値観が動いているときにいらいらしているということを聞いたことがあります。自分の価値観で人を裁いているかどうかを自分で気づかなければ、変わることができません。わたしも間違い得るということを知らなければならないのです。まず、自分を知り、物事の受け取り方にどのような癖があるかに気づくことです。一人ではなかなか変わることができないので、必要な助けを借りる素直さがあるか、助け手との出会いがあるかも重要なことです。自分のアイデンティティーを確立することはとても大切なことなのです。自分のアイデンティティーがはっきりしていないと変わることができません。わたしは誰であるか、何のために生まれたのか、何のためにここにいるのかというのがはっきりしているということ。神がわたしをお造りになったということが原点です。それによって、自分のあり方が見えてくるでしょう。それは瞬間的にはできないので、一生を通しながら、自分のアイデンティティーをさがしていくということが大切です。自分を変えるのは自分の力でなく恵みです。神さまはそのような願いを退けることなく、必ず聞いてくださいます。。

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