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せきぐち – 2015年7月号

私の出た幼稚園の教会

主任司祭 山本量太郎

 

思いがけない旧友と

201507sekiguchi-2-1関口教会に来て間もないころ、思いがけない旧友との再会があった。5年前の夏前のある日、なんと材木屋さんのフォークリフトがのろのろとカテドラル構内に入ってきた。やがて関口会館の前に停まり、運転していたおやじが関口教会の受付をのぞきこんでたずねた。「ヤマモトリョウタロウという人ここにいますか」。呼び出されてエントランスに出ていってみると、「俺だよ、坪田だよ」。40数年ぶりの再会だった。

坪田達夫君と私とは都内のある中学・高校で6年間一緒だった。卒業後、私は神学生に、やがて司祭となったのだが、毎年クラス会は土曜日の夜行われることもあって出席できずにいた。彼はずっと同級生会の幹事役を引き受けてくれていたので、私は毎年1回、その案内が来るたびに欠席のハガキを坪田宛に出し続けていた。その宛先の住所が「音羽一丁目」になっていることを私はまったく意識していなかったが、彼の家がまさか関口教会の近く、目白坂下の材木屋さんだったとは……。一方、彼のほうは私の住所が「関口」に変わったことにすぐ気がつき、ガソリンスタンドで給油した帰りにフォークリフトで乗り込んできたというわけである。

ルルドの前でお祈りも

彼は言った。「君がカトリックの神父になったことは前から聞いていたけど、まさかおれの出た幼稚園の教会の神父になってくるなんてことがあるんだなあ。嬉しかったよ」。彼にとっての関口教会は、まず何よりも「おれの出た幼稚園の教会」だった。卒園して60年以上たった今も、彼の心の中には聖園幼稚園が生きており、そこには関口教会も含まれているのである。私は彼とずっと同じクラスだったわけではないが、いろいろ話した思い出ははっきりとある。でも、彼は一度も自分の出た幼稚園の話などしなかったし、私のほうも自分がカトリック信者であることを明かすことはなかった。それが40数年ぶりに再会した今、彼が熱く語るのは聖園幼稚園の思い出である。

しかも彼は、ルルドの前でお祈りした。「このおれが可愛らしく手を合わせて毎日お祈りしてたんだぜ。想像できるかい。でもルルドだけは当時のまま、ちっとも変わってないね」と彼。担任のシスターが日本人なのに「オイゲニア」という変わった名前だったこと。「それは修道名といってシスターとしての名前。聖人の名前からとられているのかな」と僕。「今度の集まり、来いよ」「でも、土曜日は夕方ミサがあるから」「いや、二次会からでいいから絶対に来るんだ」。彼は私に約束させてフォークリフトをあやつり帰っていった。

聖園のバザーの日に

今日(6月20日)、構内では聖園幼稚園のバザーが行われている。賑わう会場をあちこちのぞきながら、それにしても関口教会はもっと聖園幼稚園と近くなりたいものだ、素朴にそう思った。

坪田くんだけではない。きっとご近所には「私の出た幼稚園の教会」と思ってくれている人たちが今も少なからずいるに違いない。

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