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せきぐち – 2015年10月号

初心を忘れずに

主任司祭 山本量太郎

司祭になって

東京教区では毎年、おめでたいことですが、あたりまえのように司祭生活50周年のお祝い(金祝)があります。それどころか、ダイヤモンド祝(60周年)もめずらしいことではなくなりました。その結果、かつては華やかに祝われた銀祝(25周年)が今では脇役の感さえあります。
ところで私は、司祭になって今年で38年になります。区切りとなるような年数には達していませんが、それでも自分の叙階記念日がやってくると、司祭にしていただいた日のことを思い出します。1977年11月3日、文化の日、その日は確か木曜日でしたが、私はここ東京カテドラルの大聖堂で白柳大司教さま(当時)から、岩崎尚師(故人)、門馬邦男師とともに司祭に叙階されました。そして、三日後の日曜日、出身教会の立川教会で初ミサがあり、お祝いの席には、その前年まで立川教会の主任司祭を長く務められた塚本金明神父さまも来てくださいました。

ありがたいお言葉

塚本神父さまからその時いただいたお言葉が今でも忘れられません。神父さまはこうおっしゃったのです。
「山本君、君は学生の頃、パチンコが大好きだったね。もしかしたら、自分でもうまいと思っていたのではないかな。でもね、パチンコが本当に上手だったのは神さまなんだよ。神さまは、君という玉をはじいて司祭という穴に見事入れたんだからね」。
その時は正直なところみんなの前で旧悪をあばくようなことを言わなくてもいいのにと思いましたが、年を経るほどにありがたさを強く感じるようになりました。

私のようなものでも

神さまは、私のようなどうしようもない玉まではじいて司祭という穴に入れてくださった、塚本神父さまのその言葉を思い起こすたびに、原点に立ち返る思いがします。そして、自分にできることを精いっぱいやりたいという気持ちが新たにわいてくるのです。
いつの間にか神父さまと呼ばれるのがあたりまえになってしまいました。人生の半分以上の年月、司祭をやっているわけですから当然の結果なのかもしれません。でも、本当の私は38年たった今でもどうしようもない玉のままなのです。そう思い知らされる時もひんぱんにありますが、それはむしろ幸いなことなのでしょう。事実は事実なのですから、そして、どうしようもない玉を見事穴に入れる神さまの素晴らしさが伝わるためにこそ司祭はいるのですから。

これからも

司祭になってもうすぐ38年、ろくに進歩もしないうちに歳だけ重ねてしまいました。最初に戻ってやり直せるものならやり直したいですが、それは叶わないことです。それならせめて初心を忘れずに、これからも司祭としてできることがあれば日々こつこつと果たしていきたいと思います。
だれにとっても、初心を忘れずに生き抜くことができたら、それに勝る幸せな人生はないのではないでしょうか。

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