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せきぐち – 2015年10月号

日曜信仰講座報告

 

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2015年9月6日、着座15周年をお迎えになった岡田大司教様をお招きして、「挿話から考えるキリストの弟子の生き方」をテーマとして日曜信仰講座が開かれました。講話の要点をお知らせします。

すべてのキリスト教会はどのように成立したかを考えるとき、その出発点は、イエス・キリストの弟子たちの体験だった。教会はイエスという人の共通の記憶を保持している。イエスは二千年前の人であり、場所も日本からは大変離れているが、二千年前に何が起こったのかということを伝える弟子たちの証言に基づいて信じている。証言の中で大切なのは、イエス・キリストの弟子たちがイエスの復活という出来事に出会ったということである。ヨハネの福音書の20章には、復活したイエスが弟子たちのところに現れ、弟子たちに聖霊を与えた記述がある。わたしたちは弟子たちが直接体験したことを経験することはできないが、聖霊を受け、同じような体験をしてイエス・キリストの復活にあずかるということを信じている。聖霊は我々信者に豊かに与えられたが、すべての人に聖霊が働いているとわたしは思っているし、教会もそのように教えている。つまり、他宗教の人にも、宗教を信じていないと言っている人にも聖霊が働いていると考える。第二バチカン公会議はその点を強調した。復活したイエスは弟子たちに聖霊を注ぎ、弟子たちに言われた。「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなた方を遣わす」。そして、ご出現の時、最初にイエスが言われたことばが「あなたがたに平和があるように」である。今年、戦後70年にあたって、特に平和を記念する年であるが、まずわたしたちは、自分の心の平和がなければならないと思う。弟子たちは、罪のゆるしをもたらすために、そして平和を告げ知らせるために派遣された。 

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教会は聖霊の宿る家であり、二千年の間歩んできた。その間、いろいろな困難や分裂が生じた。ヨハネ・パウロ2世教皇は、紀元二千年を迎えるにあたり、特別書簡を発表し、教会の子らが今までに間違ったことを改めて検証し、新しく生まれ変わらなければならないと伝えた。聖霊は、強制的に有無も言わせず従わせるわけではない。聖霊の導きにどの程度わたしたちが耳を傾け、それに従うかという自由がある。第二バチカン公会議はヨハネ23世の発意で開催されたが、教会が主イエスから与えられた使命をよりよく果たすために、どうしたらよいかということを話し合うために世界中から司教を招集して行われた。時代が移り、場所が変わると、教え方や表現を変えなければならない。その場合、大きな課題となるのは、「文化」ということだ。文化の代表的なものは言語である。現在残っている福音書はすべてギリシア語で書かれている。日本語でどのようにイエスを伝えたらよいか、日本という文化、伝統の中で、どういう体験がイエスの教えと接触できるか。福音の教えと日本文化、教会の教えとわたしたちの日常の体験がどこでつながるか。それをうまくつなげて広めていかねばならない。第二バチカン公会議は、『教会憲章』という教えを出し、教会とは何であるか、教会の使命は何であるかを説明した。また、諸民族に(様々な文化を生きている人に、世界中の人々に)、イエス・キリストをのべ伝えるためには、どういう姿勢、心構えが必要であるのか、を伝えるために、『教会の宣教活動に関する教令』を発表した。

公会議終了から10年後、1975年に、時の教皇パウロ6世は第二バチカン公会議の精神を引き継ぎ、『福音宣教』という教えを発表して、イエスの教えの真理をいささかも変更することなく、人々が自分の文化で表現されたイエス・キリストの教え、精神を受け取ることができるよう努力するようにと教えた。たとえば、洗礼はイエス・キリストの死と復活にあずかり、古い人が死んで、キリストと一緒に新しい人に生まれ変わるということである。井上靖の小説『崖』の中の一つの挿話を読むと、「古い人が死ぬ」という体験の意味がわかりやすく描かれている。わたしたちは、日々、洗礼の時の体験を思い起こし、イエス・キリストの死と復活にあずかり、日々新たになるという体験を更新していかなければならない。

わたしたちはイエス・キリストに出会い、キリストの弟子になったが、あの時の喜び、輝き、光を今、どのように感じ、これからどのように歩んでいこうとしているかを思い直す一つのきっかけが必要なのではないか。

 

 

 

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