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せきぐち – 2016年11月号

死を見つめながら

主任司祭 西川哲彌

先月(10月)9日、一人の司祭が神のみもとに旅立って行きました。さいたま教区の清水宏神父さんです。69歳でした。死因は肝臓癌でした。突然のことでしたので誰もが耳を疑いました。元気そうな印象を与えていたからです。元気を装っていましたが、実は、末期癌で、いつ倒れてもおかしくない状態だったのです。約ひと月前、潮見教会で、神学校の同期会が開かれて、何人かが集まりました。珍しく神父さんが出てきたそうで、その時、とても辛そうで、みんなが心配したけれど、本人は嬉しそうにしていて、誰もまさか彼が末期癌であることなど想像だにしなかったとのことです。亡くなる時も、あまりにも苦しいので、たまたま泊まっていたホテルの人に救急車を呼んでもらって病院に搬送され、末期癌であることが判明したということでした。その2日後には帰らぬ人になったのですから、入院生活はわずか3日間だけということになります。訃報に接して、誰もが「まさか」と絶句するのは当然のことです。

さて、清水神父さんのことを葬儀で渡されたカードを参考にして、少し紹介しましょう。神父さんの故郷は群馬県です。上智大学に入って、司祭への召し出しを感じ、そのことを担当の司祭に伝えたところ、洗礼を受けて少なくとも3年はたたないと神学校に入れないと言われ、そのまま学生を続け、条件を満たしたところで神学校に入ったのでした。

神学校では「本の虫」で、とにかく、朝から晩まで、本にかじりついていたそうです。大学の学科に関するものだけではなく、漱石や鴎外、龍之介や谷崎、はたまた三島や直哉など手当たり次第の読書で、部屋は本で埋まっていたようです。外出の日は、決まって神田の古本屋街。限られた小遣いで読みたい本を買うことが唯一の楽しみだったと当時を知っている友人は語ります。やがて神学校の授業が哲学から神学に移って行くと、待っていたのは聖書の手ほどきでした。上智大学の素晴らしさはその教授陣です。聖書に関する教授は、ただひたすら聖書を原語で読むことを勧めました。日本語になったもの、解説書では、どれだけ読んでも足りないことを、何度もなんども説きます。例えば旧約聖書、これはヘブライ語で書かれています。あるレベルに達した人は、面白くなるようですが、まずそこまで行くのが大変です。聖書の面白さと楽しさ、言葉の持つ深さと強さが分かってくると、聖書の世界に捉えられてしまうようです。哲学科で日本の古典的な文学に浸り、言葉の持つ力を身につけていた方ですから、ヘブライ語の世界は汲んでも汲んでも飽きない魅力の世界だったのでしょう。気持ちが通ずる人には、聖書を読むならまず、旧約聖書を読みなさいと盛んに進めていたようですし、かつてヘブライ語に挑戦していた同僚には、ヘブライ語で黙想するようにと冗談交じりに話していたようです。

さて、神父さんは片時もヘブライ語を離すことのない生活を送っていながらも、司祭としての司牧生活をおろそかにしていたのではありません。さいたま教区の司祭として小教区を担当し、しっかりと働いておられました。叙階を受けた大宮教会、イタリア、ドイツの留学後は小山教会、そして最後の任地であった草加教会で19年働き、2012年に65歳で引退され、那須にある引退司祭に備えられた「アルスの家」に移られたのです。あまりにも早い年齢であったし、教会を手伝うこともなく、気ままに暮らしていたので、自分のやりたいことだけをやっているわがままな司祭と受け取られるようでした。草加教会にいた時に指名を受けて引き受けた、研究社刊『新カトリック大事典』の編纂には、心血を注ぎました。「私は司祭ですが、仕事としては、司祭は51%で後の49%は事典です」と信者さんに言っていたと聞きました。文字にこだわる方でしたからぴったりの仕事だったでしょう。そして、「アルスの家」で4年過ごし、重篤な癌を抱えながらも、長い入院生活をしたり、大手術したりすることなく、静かに静かに旅立って行きました。

清水神父さんのことで、伝えたいことがもう一つあります。それは、大宮教会で執り行われた通夜で話された2歳上のお姉さんの言葉です。4人兄弟の中で、この方には小さい頃から何でも話していたそうです。「5年前のことです。宏は、自分が癌にかかっていると話してくれました。体調に敏感な子ですので、分かったのだと思います。ですから、倒れた原因が癌だったと聞いて驚きませんでした。一生懸命、歩いたり、気分転換をはかったり、気の合う人と長い話をしていると聞いて、自分なりに戦っていることがよくわかりました。」この言葉に頭を叩かれるような思いがしました。

「来てごらんよ。いいところだよ」と言われて何度か「アルスの家」に行きましたし、「今度、東京の美術館に行くけど、行かないか」と誘われて同行したこともあります。小さな旅行にも行きました。厳しい一面もありましたが、明るくひょうきんな面がほとんどでした。今から考えると、死を目の前にし、生命の終わりを覚悟して振舞っていたのです。死を宣言されて、あのように生きれるかと思うと、自信がありません。洗礼も叙階も死をくぐりぬけていただく恵みです。

恵みに応える生き方をしなければと改めて思います。

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