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せきぐち – 2016年12月号

神が赤ちゃんになられたということ

助任司祭 古郡忠夫

わたしが覚えている最初のクリスマスの記憶は、幼稚園生の頃の記憶です。それを鮮明に覚えています。当時わたしたち家族は、築地教会に所属していて、父、母、それに妹や祖父と基本的には毎週、教会に通っていました。当時の中央区築地のあたりはまだタワーマンションも建っていないようなときでしたから、教会の規模も小さく、教会の全員の顔と名前が一致していて、教会の中で座る席も自然と決まっているような雰囲気がありました。それでもクリスマスの日は、たくさんの方が来られるからと家族でいつもより早く、30分前には教会に行き、いつもの席に座っていたのです。ところが、ミサ開始の時間が近づくにつれ、人が溢れんばかりになって、立ち見の方もたくさんあらわれるようになりました。そんな中で父と母が、「高齢の方で席のない方もいらっしゃるかもしれないし、もし初めて教会にいらした方が、1時間立ち続けるのも大変だから、わたしたちは立ちましょう」と言って、立つことになったのです。わたしは心の中で、なんで早く来て席を取ったのに、立たなければならないんだと思いましたけれど、仕方がありません。立ってミサにあずかりました。わたしはその時、外は寒いからと、親が着せてくれたぶ厚いムートンコートを着ていて、脱ぐと脱いだものをずっと持っていなくてはいけないわけですから、脱がずにずっと着ていたのです。すると、始まって5分くらいで、人の熱気で暑くてたまらなくなって、だんだん気持ち悪くなってきて、ゲロゲロと吐いてしまったのです。その後、親が、そしてまわりの人が、朗読や神父さんの話そっちのけで、大変だって世話をしてくれた、これがわたしのクリスマスの最初の記憶です。恥ずかしい、みじめな、でも少しあたたかい、これがわたしのクリスマスの最初の記憶です。

クリスマス、神様が赤ちゃんになってわたしたちのところに来てくださったということをお祝いいたします。考えてみると、神様であるイエスさまも、赤ちゃんとして、子どもとして、たくさんのお世話を受けたのです。イエスさまもたくさん泣いたでしょう。イエスさまもゲロを吐いたでしょう。そうしてイエスさまも大きくなったのです。イエスさまはわたしたちと一緒になってくださったのです。イエスさまはわたしたちが生きていくときに経験すること、全てを経験してくださったのです。わたしたちが大きくなって、何か壁にぶつかったとき、わたしが信じている神様は、そんなことで行き詰まるなんて愚かだな、とはけっして思わない神様です。わたしの気持ちがよくわかってくれて、一緒に苦しんでくださる神様です。わたしが信じている神様は、わたしが何かうまくいかなくて、傷ついているときに、弱虫だなんて決して言わない神様です。「うんうん、わかるよ」って一緒に傷ついて、いつまでも寄り添ってくださる神様です。

クリスマスは神様が赤ちゃんとしてわたしたちのところに来てくださったことをお祝いする日です。わたしはつくづくありがたいと思うのです。小さい、小さいお姿になってくださったことを。小さい、小さい存在でいいのです。これからも山ほどお世話をされながら、わたしたちは生きていきます。そして、そのときにわたしたちと同じになって、わたしたちに寄り添ってくださっている方と、わたしたちは出会っていくのです。そして、少しずつ、イエスさまみたいに愛する人になっていくのです。少しずつ、イエスさまみたいに、自分を与え、隣の人と一緒になって喜ぶ人になっていくのです。

クリスマスおめでとうございます。主はわたしたちのうちに来られました。主は「赤ちゃんの姿で」わたしたちのうちに来られました。

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