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せきぐち – 2017年3-4月号

出会っていく春に

助任司祭 古郡忠夫

春がやってきた。新生活が始まる春は出会いの季節。でもそれまでの生活、関わりと別れを告げるそんな季節でもある。昨年の復活祭の当日、祖母が帰天した。大好きだった祖母の死。いつもわたしを守り無条件でわたしを愛してくれた祖母の死。わたしたち人間には、死というものがあり、そして、その死という終わりのときに向かってたくさんの終わりを経験している。春は出会いの季節だが、同時に別れの季節。

人は「幸福を感じると逃げ出してしまう」ということがあるのだという。人と人との触れ合いという幸福感の後に突然の別れを体験すると、だんだんと「幸せが怖い」という感情が支配するようになって、「幸せだったときが急になくなる」という体験を積み重ねていくうちに、幸せになりそうになると逃げてしまう、新しい出会いが始まると、拒否し、逃げ出してしまう、そんなことが起こるのだという。人間の心の仕組みは、幸福を感じ始めたときに、その幸福感のうしろにある、やがてやってくる悲しみや喪失を無意識に感じる、そんな傾向があるのだという。

わたしも小さいときには、何も知らず、何も恐れずに過ごしていた。でも小学4年生のときに、仲のよかった友だちが転校していったそのときから、もの凄い喪失感とともに、大きな恐れとともに生きるようになった。それまでいつも一緒に遊んだ友達が、急に他の学校へ転校した、みんなでお別れ会もできなかった、その体験以来、結局は全てがなくなり、全てがいなくなってしまうのだと、いつも心のどこかで考えている自分がいる。

「安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。彼女たちは、『だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか』と話し合っていた。ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである」(マルコによる福音16章1−4節)。

そんなわたしたちの心にある石のように大きな恐れを、イエスは復活でもって取り除けてくださる。神様はイエスを立ち上がらせ、わたしたちがこの地上で築き上げた関係性が消えてしまうことは決してないのだと、教えてくださった。イエスと弟子たちが声を掛け合い、ときに手をとって、助け合いながら、ぬくもりを確かめ合いながら築いた関係性は、死でもって終わってしまわなかったのだ。わたしたちの関係性も同じ。出会って、一所懸命に大切にし合ったわたしたちの関係性は、友情を、愛情を育んで、励まし合いながら、支え合いながらともに歩んだこの関係性は、死んでしまったら、あるいは、あるときに途絶えてしまったらもうお終いではない。神様によって結ばれた関係性は、また神様の永遠というつながりの中で、いつの日か、再び大きな喜びを生きることになる。イエスの復活を知り、その復活に励まされるわたしたちは、様々な別れを現実に体験しながら、それでも、出会い、つながり、愛することを望んでいく。主の復活に励まされながら、それでも出会っていくことを通して、イエスが教えてくださった、愛し合う、お互いを大切にし合うという本当の幸せを生きようとしていく。

この春、関口教会は新たに受洗される方を加え、出発する。わたしたちには自分を覆う大きな石、かたくなな心がある。でも神様はそのかたくなな大きな石を、必ず見事に取り除けてくださる。復活の光に照らされ、一所懸命に交わりを深めよう。本当の喜びに向かって生きていこう。

さぁ、出会っていく春がやってきた。

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