HOME > お知らせ > 週報 > 週報No.351-2017年8月6日(主の変容)

週報No.351-2017年8月6日(主の変容)

1.聖母被昇天ミサの会場設営ボランティア募集について

8月15日の聖母被昇天ミサは、朝7時と夕方6時(ルルド前、雨天時は大聖堂)の2回です。

午前10時のミサはありません。夕方6時のミサの会場設営ボランティアを募集しています。お手伝いいただける方は、午後4時半にルルド前にお集り下さい。 

2.聖母被昇天ミサ後の納涼会への献金・献品のお願い

今年も運営委員会主催の納涼会を韓人教会との合同で開催いたします。献金・献品(ビール券、おつまみ等)を8月6日、8月13日の10時ミサ前後にエントランスホールで受け付けますので、ご協力をお願いいたします。なお、当日14時~20時まで飲食関係の準備で女性の方のお手伝いを5名募集していますので、併せてご協力をお願いいたします。 

3.野のゆり会の販売お休みについて

野のゆり会の販売(クッキー、蜂蜜等)は7月30日から9月3日までお休みとなります。 

4.福祉部より水のサービスのご案内

福祉部では暑さ対策として10時ミサ後、エントランスホールで水のサービスを行っていますので、皆さまご利用ください。 

5.バザーの開催について(10月15日)

先般バザー主催者の募集を行いましたが、サルテッレ会より応募があり、代表の鈴木修一氏を主催者として実施することとなりました。企画内容等の詳細は決まり次第お知らせいたします。 

6.共同墓地の建設承認、着工について

カトリック府中墓地に建設を予定している関口教会の共同墓地については7月10日の教区本部責任役員会で建設の承認を得ましたので、7月30日に西川神父により起工式を行い工事を開始しました。11月の完成を目途としています。建設進捗状況や利用申込に関するご案内は、今後随時行って参りますのでよろしくお願いいたします。  

7.教会事務室ボランティアの募集について

教会事務室で受付のボランティアをしていただける方を引き続き募集しています。ご協力いただける方は教会事務室にある応募用紙にご記入下さい。(在籍信徒の方に限ります)。

(主任司祭 西川哲彌)

 

 

(1新規、2~5、7既報
6訂正・変更または新しい内容を含む)

 

8月6日の予定

アルファコース(11時30分、教理室7 )
 
納涼会打合せ(10時ミサ後、教理室6)
 
墓地建設委員会打合せ(12時30分、小会議室)

 
来週の予定(8月13日 年間第19主日)

聖歌隊練習(指導三澤、10時ミサ後、中会議室)

 
その他の主な予定

中高生会サマーキャンプ(8月4日~6日) 

日本カトリック平和旬間(8月6日~15日)
 
平和を願うミサ(8月12日、18時、大聖堂)
 

 

司祭短信8

私事で申し訳ありませんが、最近嬉しいことがありましたので一つお伝えしたいと思います。それは、10年前に亡くなった妹のことです。61歳でしたから、生きていれば71歳になっていたでしょう。1月2日に生まれたおかげで誕生会とか誕生日のお祝いとかが、お正月のお祝いに消されて悔しい思いがしたと言っていました。

妹の死因は、卵巣癌でした。この癌は、発見が遅れてしまう筆頭にランクされるもので、例に漏れず、発見が遅れ、開けたらすぐに閉じてしまうほどだったようです。先生は、開けてみないとはっきりしたことはわからないけど、取ってしまえばなんとかなる可能性もあるとおっしゃっていたので、少し安心して手術の日を迎えました。3月5日で、その年の灰の水曜日でした。

当日、午後1時すぎに手術を始め、遅くても5時には病室に帰っているはずでした。しかし、1時間もしないうちに呼び出されて「手術は終わりました。あとで詳しくお話ししますが、手の施しようがないほどの状態でした。」と言われ、頭の中が真っ白になったことを今でもはっきりと覚えています。

説明によると、転移がすごく、大腸全体に行き渡っていて、癌の部分を取るとすれば、お腹が空っぽになってしまうほどになっていたそうです。「取ってしまえば楽になるので、少なくとも5月には、広島に帰れるでしょう。」と言われた言葉が、一瞬に消えてしまい、余命三ヶ月の宣告になったのです。残された道は、ターミナルケア施設に入るか、それとも、抗がん剤治療という地獄の道の二つでした。「ゆっくり考えてからお返事ください」と言って先生は、部屋を出て行かれました。

「アニキ、どうしよう」と、妹が言いました。私は、手術中止の時以来、頭が正常に作動してない状態で、返す言葉もありませんでした。わざとそのことに触れない日が三日ほど流れて、また「アニキ、どうしよう」と聞いてきました。私は「文子はどう考えているんや」と聞き返しました。二人だけの時は、広島弁でした。「自信ないし、怖いような気がするけど、抗がん剤をやってみよう思うとるんよ」「そうか、文子が、そういうんなら、わしは、もちろん賛成するで」と答えました。実は、私の気持ちとして、抗がん剤を選んでくれたら、万が一の回復可能性の道が拓けると思っていたのです。それがどんなに甘い考えかがそのあとの一年あまりの年月で、嫌という程思い知らされたのです。

抗がん剤は、どんどん進歩しています。また、ペインクリニックという、痛みを和らげる治療も日進月歩、進んでいます。末期癌で、昔なら、モルヒネで意識がなくなるほどの治療をするのが普通でしたが、今では、最後の最後まで、痛いという言葉を発することなく明るく会話を交わしながら臨終を迎える人も珍しくありません。10年前、文子は苦しんでいました。特に、抗がん剤を受けた後は、まさに、のたうちまわるほど苦しんでいました。「アニキ、苦しいよー」と泣いて叫ぶ妹を前にして、私も、何もしてやれない悔しさに泣いていました。余命三ヶ月宣言を約1年伸ばして、5月13日に旅立って行きました。

「文子さんが好きだった花は何でしたか」という質問が追悼文集を作る時に訊かれましたが、私はよく知りませんでした。その時、作業に加わっていた豊島教会の方々が、即座に「河原(かわら)なでしこ」答えてくださいました。この仲間は、文子の身内のようになっていました。私が知らないことを、たったの一年で、よーくご存知でした。

先日、たまたま、文集を読んでくださったかたが、「花屋さんにありましたよ」

と言って3株ほど持ってきてくださいました。探してもなかなか見つからない花です。とても嬉しかったです。早速Iさんにお願いしたら、小聖堂の前の花壇に植えてくださいました。そこを通るたびに眺めます。文子がそこにいるような感じです。

「庭の隅っこに、人知れず咲いている小さな花」が文子のモットーでした。