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週報No.380-2018年3月4日(四旬節第3主日)

1.四旬節黙想会について

四旬節黙想会を本日、平林冬樹神父様(イエズス会)のご指導のもとに開催いたします。日程は第1講話11時30分~12時30分(ケルンホール)、第2講話及び聖体賛美式13時30分~15時(地下聖堂)を予定しています。昼食は各自ご用意ください。

2.「主にささげる24時間」について

教皇フランシスコは四旬節第4主日直前の金曜日夜から土曜日夜までの24時間を特別な祈りの時間(「主にささげる24時間」)として定めておられます。今年は3月9日(金)夜から3月10日(土)夜までとなりますが、東京教区としては、3月10日(土)朝7時ミサ後から夕方6時のミサまでの間、関口教会地下聖堂で聖体を顕示し、ともに祈る場が設けられますので、皆さまご参加ください。

3.イースターのお手伝い・クッキーシール貼りのお手伝い募集

イースター実行委員会(竹内和幸委員長)では、イースターのお手伝い(会場設営、イースタークッキー配布、パーティー飲物準備、後片付け)を募集しています。また、3月25日(日)には、復活の主日にプレゼントするイースタークッキーの袋の装飾(シール貼り)等を行います。皆さまのご協力をお願いいたします(チラシ参照)。

4.厨房の冷凍冷蔵庫内の片付けについて

3月18日(日)、厨房の冷凍冷蔵庫内の片付けを行います。庫内に保存されている食品、飲物等につき、活動グループ名等の記載がない物については処分することになりますので、冷凍冷蔵庫を

利用している各グループは、前日までに庫内の確認をお願いいたします。(総務部)

5.聖週間の典礼聖歌練習のご案内

  聖週間の聖歌の練習を3月10日、17日の各土曜日、19時から20時30分まで大聖堂で行います。聖歌を練習してみたい方々等、皆様お気軽にご参加下さい。

6.古郡神父様の転任について

2018年度の東京大司教区司祭の第1次人事異動が2月14日発表となり、古郡神父様は4月1日付けで高輪教会の小教区管理者として異動されます。後任の助任司祭にはルイス真境名

(まぜきな)神父様(ペルー共和国・カラバイヨ教区/現小金井教会助任司祭)が着任されます。その他人事異動の詳細につきましては、エントランスホールの掲示板に掲示してありますのでご覧く

ださい。

7.四旬節中の「ゆるしの秘跡」について

四旬節中(2月18日~)、毎日曜日9時から9時50分まで、大聖堂告解室でゆるしの秘跡を受けられますのでお与かりください。

8.十字架の道行について

四旬節中の金曜日(2月16日~3月30日)、10時から地下聖堂で十字架の道行を行ないます。

 

 

3月4日の予定

 
四旬節黙想会(11時30分、ケルンホール) 
入門講座(Sr.品川、11時15分、集会室2)
 

3月11日の予定

教会学校(10時ミサ後、教理室3、4)
入門講座(Sr.品川、11時15分、集会室2)
アデステ(10時ミサ後、小会議室)
聖歌隊練習(指導三澤、10時ミサ後、中会議室)
運営委員会(13時、2F会議室)
マリア茶房(10時ミサ後、エントランスホール)

 

その他の予定

十字架の道行(3月9日(金)、10時、地下聖堂)
オルガンメディテーション(3月9日(金)、19時、大聖堂)
一粒会総会(3月11日(日)、含む朗読奉仕者、祭壇奉仕者選任式、14時30分、ケルンホール)

 

司祭短信38

ある日、古郡神父様が「神父さんは、以前、月一ぐらいで福島に行っていましたよね」と質問でも確認でもなく話しかけてくれました。「うん、月に二回行くこともあったよ」と答えました。そうなのです。浅草と上野の教会を持たされていた時、月曜日を休みの日にしていたので、日曜日、自分の分担のことを終えて、車に乗り、約300キロのドライブでした。5時間はかかりましたので、福島に着くのは8時頃でした。以前、ボランティアセンター(ボラセン)と言っていたところへたどり着いて、ボランティアさんたちが頂いた夕食の残りを頂いてホッとしていました。お腹ペコペコだったので、出してくださるものをむさぼるように食べてホッとしたものでした。

その日は、ボラセンに泊めていただき、翌日は、車で7~8分のカトリック原町教会でミサに与りました。またボラセンに帰って朝食をいただき、挨拶を済ませて、車で出発し、被災地を歩いて、祈ったり、仮設を訪ねて様子お聞きしたりして1日を過ごしました。浅草教会に着くのは夜の7時とか8時でした。

震災発生後から、まるで定点観測をしているように、月一回か月二回で通っていたので、変化が手に取るようでした。宿泊も、初めは、改修間もない教会でした。仙台教区から、特別に派遣されていた梅津明生神父様が温かく迎えてくださり、ホッとしたものでした。被災地は、いたるところが立ち入り禁止で、毎年、草ぼうぼうになって行く家や畑、田んぼを立ち入り禁止のついた柵の外からじっと見つめるだけでした。

福島は、原発が津波の海水をかぶって機能が停止していながら、放射能を吐き続ける状態で、不気味でした。通っているうちにいろんなところが立ち入りOKになり、車も、許可証を見せれば通行可能になって行きました。思い出せば、事態の変わり目が、目に見えてきます。この二年は行ってないので変化がわかりません。二日分ずつ、郵送されてくる「福島日報」で、表面的なことだけは、わかります。

もともと、福島の海岸側(浜通り)は、「いわき」から海岸に沿って常磐線が走り、国道6号線が仙台まで通っているだけのところでした。不便だけれど、自然がいっぱいあり、その地方の伝統が生き生きと伝えられている日本のふるさとのようなところでした。だからこそ、国の政策で、軍事基地ができ、原発が設置され、それなりの発展があったのです。

震災と原発事故で福島は、世界のフクシマになりました。原発廃炉まで二十年三十年とかかるようです。「復興というのは、いろんな産業が発達することではなく、もとどおりの福島に帰ることです。」と、地元の方がおっしゃっていました。その通りだと思います。

今年も3月11日が巡ってきます。私はずっとずっと福島を見つめ続けて行こうと思っています。