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週報No.394-2018年6月10日(年間第10主日)

1.「長寿のお祝い」に関する意見交換について

6月17日(日)、10時ミサ後、集会室1で「長寿のお祝い」ついて皆さまのご意見を伺いたいと思いますので、皆さまどうぞお集りください。(佐藤、南部)

2.オルガニスト&聖歌隊からのお知らせ

6月10日、10時ミサ後、大聖堂聖歌隊席で聖歌の練習をいたします。今後、毎月第2日曜日の10時ミサ後、同様の練習を行ないます。また、土曜日の夜の聖歌練習が下記の日程で始まります。聖歌を練習してみたい方々もぜひご参加ください。

月日

6月16日、7月7、21日、9月1、15日、10月6、20 日、11月17日、12月1、8、15、22日 (12月は待降節用の練習を行ないます)

時間

19時~20時   

場所

大聖堂

6月10日の予定

入門講座(Sr,松村、11時30分、集会室2)
神と科学(三田助祭、11時30分、教理室6)
教会学校(10時ミサ後、教理室3、4)
アデステ(10時ミサ後、小会議室)
運営委員会(13時、2F教区会議室)
マリア茶房(10時ミサ後、エントランスホール)

6月17日の予定

入門講座(Sr. 松村、11時30分、集会室2)
神と科学(三田助祭、11時30分、教理室6)
教会学校(10時ミサ後、教理室3、4)
「長寿のお祝い」意見交換会(10時ミサ後、中会議室)
オルガニストの集り(13時、小会議室)

 

司祭短信52

川原神父さんが亡くなられました。1921年5月のお生まれですから、95歳になられたところかもしれません。終戦(1945年)の年、九死に一生の生還を果たして南方から故国日本に帰り、東京の銀座で靴磨きをしていた時に一人のクリスチャンと出会い、2年後、銀座教会で受洗されました。その時のことを、何度かお聞きしました。それから10年後、司祭としての生涯が始まりました。

その若き日に、大日本帝國陸軍の兵士として、骨の髄まで鍛え上げられていたので、叙階されてから60年、背筋をピンと伸ばし、生き抜いてこられたのです。いつも「さすが、元帝國軍人」という言葉を耳にしたことがあります。クリシリヨやボーイスカウトの指導司祭として活動されていた時、その抜群な指導力は定評がありました。

神学生時代、リクレーションで登山をする時、リーダーとして細やかな配慮に、どの神学生も頂上から神学校に帰ってくるまで、安心して命を預けることができたそうです。登山に限らず、どんな時も、安心して任せられるリーダーとして信頼されていたようです。

私が、川原神父さんと知り合うようになったのは、神学校のモデラトールをしたおられる時でした。神父さんは、その頃、喘息で苦しんでおられました。時々、休んでおられましたが、人に知られることのないように、頼まれたことをきちんとこなしておられました。神学校外のことで、出かける時は、受付に何時何分どこそこに着いて用事を済ませ、何時何分に神学校に着くというようなメモが受付に出され、その通りになっていました。

神父さんは、司祭の年の黙想で、いつも第三グループ、函館当別の男子トラピスト修道院を選んでおられました。数年前のことです。黙想の最終日(土曜日)のミサの主司式を黙想に来ていた司祭に依頼が来ていました。誰にしようかとみんなで話していた時、川原神父さんの名前があがりました。神父さんの顔を見ると、「いいよ」という眼でした。土曜日がやってきました。そして、それは眼が覚めるような司式(歌ミサ)だったのです。朗々とした声、はっきりした滑舌、堂々とした仕草、最高でした。後で聞いてみたら神学校時代、つまり、ラテン語でミサをしていた時代から、変わることのない司式だったそうです。

神父さんは、自分史を出しておられます。ある時、ボーイスカウトの集まりで成城教会に行った時、つい、ご自分の話をしてしまった。陸軍士官学校に行って任官され、戦場に遣わされたこと、そこで地獄を見てしまったこと、戦争が終わって帰ってきて、何を目標にして生きていいかわからなかった時にキリストに出会ったことなど話したそうです。そうしたら、スカウトの一人が、是非自分史を書いてくださいと言ってくれて、お手伝いしますとまで言われたので、その声に支えられ半年かかって書き上げ本にしたとのことでした。私も一冊いただいたので、引き込まれるように読ませていただきました。素晴らしい自叙伝です。

大司教様は、お通夜の説教で、川原神父さんのことを「戦う人」とたたえ、若かりし時は国のために戦って、その後、福音宣教のために戦ってこられましたとおっしゃいました。その通りです。心から、ご冥福を祈ります。