HOME > お知らせ > 週報 > 週報No.428-2019年2月3日(年間第4主日)

週報No.428-2019年2月3日(年間第4主日)

1.司祭人事について

2月1日に教区司祭の第2次人事異動が発表され、関口教会助任司祭にラニエル・ベルドス神父様(語学研修中)が発令されました。(4月21日付)

2.信徒総会報告

1月27日(日)に定期信徒総会が開催され、2019年度年間予定、2018年度決算及び2019年度予算が承認されました。また、次期運営委員長については選挙人による選挙で信任された小池四郎氏が承認されました。(就任4月21日)

3.灰の水曜日のための枝の回収について

今年の灰の水曜日は3月6日です。昨年の枝の主日にお配りした枝の回収を2月3日(日)から3月3日(日)まで行ないます。回収箱を大聖堂とエントランスホールに置きますので、よろしくお願いします。

4.マリア会、サル・テッレ会からのお知らせ

本日、10時ミサ後、マリア会、サル・テッレ会の総会・新年会をそれぞれ中会議室、集会室1で行います。申し込まれた方は遅れないようにご出席ください。

 

 

2月3日の予定

信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
 
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
 
教会学校(10時ミサ後、教理室4)
 
マリア会総会・新年会(10時ミサ後、中会議室)
 
サル・テッレ会総会・新年会(10時ミサ後、集会室1)
 

2月10日の予定 

信仰講座(三田助祭、11時30分、教理室6)
 
入門講座(Sr.松村、10時ミサ後、集会室2)
 
運営委員会(13時、2F教区本部会議室)
 
マリア茶房(10時ミサ後、エントランスホール)
 

その他の予定 

オルガンメディテーション(2月8日(金)、19時、大聖堂)
 
 

司祭短信 86

私は、情に流されるたちなので、ついつい、感情的になり、後悔する事が度々あります。でありながら、一面、楽観主義者で、なんでも神様任せで日々を送っているのも事実です。

司祭の生活は、秘跡に始まって秘跡に終わると言っていいくらいです。秘跡は奇跡に通じます。奇跡は、「神の介入」として教えられています。何かいいことが突然起こるとか、祈っていたらそのようになったとかということは神の業ではあっても奇跡ではありません。そういうことは、日常にあることです。奇跡というのは、思いがけないことが、願い通りに実現する時に、思わず「神様、すべてをご存じだったんですね。日々の不信仰をお許しください。改めて、感謝いたします」と、もう、一生、神様から離れないと心に誓えるような時に言えることです。

司祭だから特別ということはありませんが、神様が、特にその司祭に、使命を与えて、そうするように、仕向けたり、気づかせたりしていることは確かです。小さなこと、大きなこと、いろいろです。特に、その人の霊的な部分にかかわるようなことは、いつも気にかけているだけに、神様の計らいとして、いつでも飛び出す用意があります。神様がそうさせておられるのだと思います。

司祭は司祭のアンテナを持っています。叙階した時から、死ぬまで、そのアンテナが働いています。テレビのアンテナなら、折れたり吹き飛んだり、コードが切れたりしますが、司祭のアンテナは、司祭の体に刻み込まれていますから壊れることも、剥ぎ取られることもありえません。地上では、命が終わるまで、天上では永遠に働き続けます。

私のような、どうしようもないものでも、司祭は司祭で、司祭に優劣はありません。司祭職には、通常に言われるような優劣はないのです。独身を通すことを約束して、司祭職が授けられるのですが、途中で結婚しても司祭は司祭です。司祭職を執行することを、停止されているだけです。大きな教会には、それ相応の能力を備えた司祭が派遣されてくるので、司祭の品評会に事欠きませんが、それは、その教会の品位に係る悪弊です。

さて、こんな司祭でも、日々、神様の導きを感じています。背中を押されたり、頭を叩かれたり、はたまた、金縛りをかけられたりします。また、何かしようと思って、思いついたことをしようと思ったら、それにぴったりのものがそこにあるという経験が、度々あります。最初に申し上げた神の介入、つまり小さな奇跡がしばしばあります。私の楽観性は大体そこから来ています。あきらめが早いのも、即断即決するのも、そこに起因しています。何か人のせいにしたくなる時や自分の無力さを感じて嫌になる時、さっと切り替えて、全く別のことをやり始めますが、それも、神様の介入のおかげです。「嫌なことは後回しにし、好きなことから始めよう、そのうち嫌なことも好きになるさ」ってことです。とはいえ、気が付いたら76歳。気持ちは60歳でも、体力がついて行きません。つまり、昔のように飛び出して行こうにも体が言うことをききません。

「神父さん、胸を張っていてくださいよ。最近、とみに、背中が丸くなり、かがんだようにして歩いてますよ」って言われ、ハッとしました。いつも、父がこの年にどうだったかと、父を鏡として、自分を重ねてみます。そういえば、父も、この年の頃、背中が曲がり始めていたような気がします。一人の人間として、父の足元にも及ばない私ですが、年齢だけは、来るものが来ているのかもしれませんね。何もかも神様にお任せにしているといえど、体の管理は自分の手に委ねられていますので、そろそろと、気をつけて行きたいと思います。よろしく、よろしく。